若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、西大路八条に面してたつ御所ノ内本町の鎮守社
平安時代、平清盛の別邸である西八条邸(西八条殿)ゆかりの神社
境内に平清盛公西八条殿跡の石碑がある
平清盛にあやかり、開運・開運出世などの信仰を集める
かつて熊野権現の第一王子を祀る同町の勝明寺の鎮守だったともいわれる
<若一王子(にゃくいちおうじ)>
熊野権現の第一子であり神仏習合した神さん
<本殿>
<手水舎>
<平清盛手植えの楠(クスノキ)>
平清盛が太政大臣に任ぜられたとき、それを感謝し自らの手で植えたといわれる楠社の御神木
幹周り約3m、高さ約30m
都落ちのときに邸宅に火が付けられたときにも、焼け残ったといわれています
昭和の都市計画の京都電気鉄道(市電)敷設のために、この楠を切ろうとすると工事関係者などに事故や不幸が起こったことから、
西大路通を少し膨らまして曲げて、残されている
<神共水(じんぐすい)>
本殿の奥にある京の銘水の一つ
平家物語にも記述があり、平清盛の熱病を冷やすために用いられたといわれる御神水
以来、御神水は日供祭(にっくさい、毎朝の祭事)で御神前に供えられている
開運出世の水として、新生児誕生の産湯としても用いられている
<石碑「平清盛公西八条殿跡」>
平清盛が六波羅に在住していた頃
この地は「浅水の森」と称され風光明媚なる所で、平清盛の別邸である西八条邸(西八条殿)があった
現在の梅小路公園にかかるほどの48,000坪もの広大な敷地だった
平清盛の屋敷を中心として50以上の建物が集まっていたといわれる
<祇王の歌碑>
「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです)
<寿命社>
御祭神:高砂尉と姥
御神徳:夫婦円満・子孫繁栄・延命長寿
天正年間(1573年〜1592年)に播州高砂神社より勧請された
<弁財天社>
御祭神:市寸島比売命
御神徳:芸能・音楽・福運
1715年(皇紀2375)正徳5年に竹生島より勧請された
<松尾社>
御祭神:松尾大神
御神徳:醸造満足
<福徳稲荷社>
御祭神:稲荷大神
御神得:商売繁盛・生業繁栄
1981年(皇紀2641)昭和56年に伏見稲荷大社より勧請された
<楠社(くすやしろ)>
平清盛手植えのクスノキの御神木
<祖霊社>
1983年(皇紀2643)昭和58年9月11日建立
<平清盛石像>
太政大臣の衣冠束帯姿の平清盛の像
1990年(皇紀2650)平成2年の建立
<東錦絵>
西八条邸での宴の様子が描かれている
平清盛の膝元にいる仏御前が現れたことで、平清盛の寵愛を受けていた祇王が屋敷から出ることになり、
襖の外で、祇王が涙しながら歌を一首書き残している
江戸時代の一陽斎豊国画
<歳旦祭> 1月1日
<七草粥の接待> 1月7日
<西大路福社ご利益めぐり> 1月1日〜2月末日
西大路通周辺にある7社を巡拝し朱印を受ける
北大路通から南は十条通まで、直線距離で約6kmある
1983年(皇紀2643)昭和58年に当初は5社巡りで始まり、翌1984年(皇紀2644)昭和59年に7社になった
安産祈願のわら天神、開運の平野神社、延命長寿の熊野神社衣笠分社、建築方除の大将軍八神社、厄除の春日神社
開運の若一神社、知恵・学問の吉祥院天満宮がある
<献灯祭> 4月10日
<例祭・若一講大祭お火焚祭> 11月10日
800余年の歴史ある火焚神事
秋の収穫や五穀豊穣、地域の安全などを願いつつ、護摩木に書かれた諸々の願いを祈願する行事
<御所ノ内町>
平清盛の娘を高倉天皇に嫁がせたことから「御所ノ内町」と称される
<西大路通>
1933年(皇紀2593)昭和8年
京都電気鉄道(市電)の軌道敷設工事のために、西大路通の拡張工事が行われた
若一神社の境内は、大幅に削られ、大楠を伐採するか移植するか検討されるが
工事関係者などに事故や不幸が起こったことから残された
このため、西大路通は、直線ではなく、西側に少し膨らまして曲げられている