大森賀茂神社(おおもりかもじんじゃ)は、桟敷ヶ岳の南西、清滝川の源流の谷あい、大森市民農園の北にある神社
大森(東河内村・西河内村・中村村の3ヶ村)の産土神さん
延喜式神名帳に記載されている葛野郡の式内社小社 墮川御上神社(おちかわみかみのじんじゃ)とされる
この地 大森の里は、清滝川の上流にあり、平安京遷都にあたり、主要な調木地の一つとされた
境内は、北山杉など杉の木で覆われている
<石鳥居>
<手水舎>
<本殿>
覆屋の中にある
流造
<拝殿>
平入切妻造、唐破風切妻屋根、向拝が付いている
<舞殿>
<摂社 貴船神社>
祭神:闇淤加美神
覆屋の中に祠がある
<摂社 惟喬神社>
祭神:惟喬親王
文徳天皇第一皇子 惟喬親王が閑居された地
例祭(秋季大祭)が、10月第2日曜日に行われる
<堕川御上神社>
石垣で囲われている
堕川(おちかわ)(清滝川の上流)と西野川の合流点、落合付近(現在の境内の東方)(薬師峠の麓付近)に祀られていたといわれ
遙拝所にもされている
<石碑「河内ノ国ノ人 久保翁顕彰碑」>
本殿の脇に立てられている
<剣鉾>
箱書によると
1837年(皇紀2497)天保8年
今宮神社氏子 上京区五辻町より譲られたものと記されている
<歳旦祭>
1月2日
<例祭(秋季大祭)>
10月第2日曜日
安楽寺で行われる
午前中に、安楽寺の神輿蔵からお神輿1基が出され、飾り付けが行われる
剣鉾も組立てられ、本堂正面の広場に立てられる
正午に、宮司により祭典が行われ、神輿前にゴザが敷かれ直会が行われる
14時より、お堂の裏から屋根越しに氏子への餅撒きが行われる
お神輿の巡行はされない
「安楽寺縁起由来記」によると
江戸時代後期
1832年(皇紀2492)天保3年頃
大森賀茂大神宮、貴布禰大明神の例祭が正月2日・3日に行われていたとされる
神事には、東・西・左・右・失慰の五座により供物が供えられた
お神輿の前で、童子相撲の五番勝負が行われ、その後、神楽が奉納されていた
朝廷より、御簾提灯が新調され寄進されたといわれる