霊明神社(れいめいじんじゃ)は、東山の維新の道の京都霊山護国神社から正法寺への参道階段の途中にある小さな神社
二寧坂の中程から東向きに霊明神社に向かう坂道・石階段は「幕末志士葬送の道」と称される
江戸幕府の寺請制度(すべての国民が仏教徒とされていた)政策下において、神道による葬式や祭事を始め、神道墓地もある
幕末維新には、長州藩藩士 久坂玄瑞の主唱によって、勤王攘夷殉難志士の埋葬・弔祭が行われた
「志の聖地 志を立て、志に生き、志を伝える 心願成就の社」とされる
<本社>
万物の創造神
天御中主尊
霊界の守護神
熊野三柱大神(菊理媛神、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(こととけおのみこと)
<相殿>
天照大御神、猿田彦大神、天宇受賣命、武甕槌命、経津主命
創建当初は「東は正法寺方丈地境限り、西は往生院藪地限り、南は大道限り、北は高台寺限り」の区域があった
嘉永年間(1848年~1854年)には、2,000坪近い境内があった
明治維新により、約1880坪が公収(上知)され、新たに創建された東山招魂社(後の京都霊山護国神社)に譲られる
<本社>
<さざれ石>
<末社 猿田彦神社>
猿田彦明神御神石が祀られている
平安時代
嵯峨天皇皇子の左大臣 源融の邸宅 六条河原院に祀られていた「道祖神 猿田彦明神御神石」といわれる
その後、祇陀林寺(ぎだりんじ)となる
江戸時代
六条河原院跡の塩竈町の生薬屋 権兵衛の自宅の庭に埋まっていたといわれる
近くの住人らが大怪我をすることなどが続き、神職 村上都愷がお祓いを行う
その夜、権兵衛の夢の中で「我は猿田彦大神なり 数百年此の地に神徳隠れる
悪水の流れの不浄に堪えかねる 早く遷座を」と告げられたという
神職 村上都愷は、御神石を東山の霊山の当地に遷した
猿田彦大神のご神徳である、旅立ち安全・交通安全・方災解除・厄祓にご利益がある
<上墓地>
創建当時のからの神道墓地
<南墓地>
京都東山温泉ホテルりょうぜんの南にある
<西墓地>
二寧坂に通じる国阿坂を降りたところにある
<幕末志士葬送の道の石標>
石階段の登り口にある
<歳旦祭> 1月2日
<春季大祭> 3月春分の日
<秋湖祭(久坂玄瑞の命日祭)> 7月
<猿田彦祭> 7月24日
<幕末維新殉難志士慰霊祭> 9月上旬
<秋季大祭> 9月秋分の日