晴明神社(せいめいじんじゃ)は、平安時代中期、6代の天皇に仕え陰陽道を確立した
天文博士 安倍晴明を祀る神社
安倍晴明は、星座が急変するのを見て、花山天皇の退位を予知したといわれ、厄鬼を払う追儺(ついな)など、
都を護る様々な儀式が行われた
全国各地には同名の神社がある
安倍晴明の屋敷は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通におよぶ広大なものだった
その後の、たびたびの戦火で衰退してきた
<本殿>
1905年(皇紀2565)明治38年の建立
1928年(皇紀2588)昭和3年の修理
屋根瓦・提燈などに、神紋「晴明桔梗紋」が付いている
<晴明井>
安倍晴明の念持力で湧き出たといわれる井戸
飲むと悪病難病が治るといわれる
陰陽道の護符である五芒星が刻まれている
水の湧きでるところは、その年の恵方を向いており吉祥の水が得られるといわれる
恵方は毎年変わり、立春の日にその向きが変えられる
<一の鳥居>
扁額に社紋の桔梗紋が入っている珍しいもの
<二の鳥居>
<手水舎>
水は「罪」や「穢れ(けがれ)」を洗い流すものといわれる
<安倍晴明像>
晴明神社所蔵の安倍晴明の肖像画を基に作成されたもの
夜空の星をみて天体を観測し、手を衣装の下にいれ印を結んでいる様子を表している
<厄除桃>
中国や陰陽道では、桃は魔除・厄除けの果物といわれている
古事記や日本書紀などでも魔物を追い払う様子が描かれており、「桃太郎伝説」の由来にもなっている
<御神木>
樹齢推定300年の楠
<顕彰板>
安倍晴明の代表的な10の伝説が紹介されている
<桔梗苑>
社紋に用いられている五芒星の桔梗
約2000株の桔梗が植えられており、6月から9月頃まで可憐な花が咲く
<泣不動縁起絵巻 織りつづれ絵馬>
清浄華院所蔵の「泣不動縁起絵巻」の中の安倍晴明が登場する一場面を西陣の技術で織り込んだ大きな絵馬
地元西陣織のメーカから奉納された「泣不動縁起」の一部を織物にしたものもある
<一条戻り橋>
1995年(皇紀2655)平成7年
現在の橋が架け替えられ、旧の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移して再現されている
<式神石像>
一条戻り橋のレプリカの傍らに、式神の石像がおかれている
安倍晴明の妻が式神を怖がったので、一条戻り橋の下に住まわせていたといわれ、橋を渡る人に橋占(はしうら)をしていたといわれる
<晴明墓所>
嵯峨の晴明神社飛び地境内にある
<桔梗庵>
売店
<斎稲荷社>
祭神:倉稲御魂神
本殿のすぐ北側にある
安倍晴明は、お稲荷さんの生まれ変わりともいわれ祀られている
<地主社>
祭神:不明
<天満社>
祭神:菅原道真
<桔梗紋>
桔梗の花の形の紋
陰陽道の呪符(じゅふ)の一筆書きの五芒星を「桔梗印」と称され、晴明神社では神紋とされている
明智光秀も桔梗紋を用いていた
<新年祭>
1月1日
早朝6時に晴明井よりくみ上げた若水を神前にお供えし、四方を拝して、一年の国家安泰を祈願される
<節分星祭>
2月節分
「陰」から「陽」へ「気」が変わる節目の日に、一年を通じて身についた穢れを祓う
人形(ひとがた)といわれる人間の形を模した紙に息を吹きかけ、そこに自らの穢れをして神前に納める
<火災除祈願祭>
6月26日
古くより火災除の神さんとして信仰されており、ご祈祷の後に護符が授与される
<晴明祭(宵宮祭・例祭・神幸祭)>
9月秋分
宵宮祭は、前夜午後7時より、迎え提燈のお練りや、御湯立神楽の奉納
本宮には、本社神輿と「桃薗みこし」「聚楽みこし」の2社の若神輿が巡幸する
神幸祭では、約500人の維新少年鼓笛隊を先頭に、菊鉾・扇鉾・獅子・御神宝・飾馬などと、晴風稚児・八乙女・四神稚児などが
西陣地区を練り歩く
<嵯峨墓所祭>
9月26日(安倍晴明の命日)
嵯峨墓所に参拝し祭典が行われる
<御火焚祭>
11月23日
火を焚きあげることで作物を生成するときに疲弊した土を甦らせる五行説に基づく重要なお祭
<安倍晴明公居館趾(あべのせいめいこうきょかんあと)>
所在地:上京区葭屋町通今出川下ル西側(晴明神社前)
安倍晴明の屋敷がこの地にあったといわれる伝承の地
近くの一条戻橋で、安倍晴明が式神(陰陽師が操る生霊)を使って橋占をしたといわれる
<一条戻橋>
晴明神社の少し南
一条通を横切って流れる堀川にかかる橋
一条戻橋の下には、式神(陰陽師が操る生霊)(鬼神)を住まわせていたといわれる
現在の一条戻橋は新築されたもの
昔の橋は、晴明神社内に移されている
<千利休居士聚楽屋敷跡>
千利休の屋敷跡の碑が晴明神社境内に石碑が立つ
晴明井を千利休も利用していたといわれる