富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市、富士山南麓にある神社
富士山頂上には、奥宮がある
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社
木花咲耶姫命が祀られており、境内には500本以上の桜が植えられ、春には桜の名所とされる
<木花咲耶姫命>
主祭神
「浅間大神 (あさまのおおかみ)」と同一視されている
梅宮大社・縣神社・敷地神社に主祭神として祀られている
<邇邇芸命>
配神
木花咲耶姫命の夫神、天照大御神の孫
地上に降臨して、木花咲耶姫命に一目ぼれして結婚する
<大山津見神>
配神
木花咲耶姫命の父神
境内の広さは約17000坪ある
境内には500本以上の桜が植えられ、春には桜の名所とされる
徳川家康により本殿・拝殿・舞殿・楼門等が造営される
その後、宝永地震や安政東海地震などで破壊し、当時の建物で現存するのは本殿・幣殿・拝殿・楼門のみとなっている
<大鳥居>
富士宮駅前から約500mほど西の浅間大社から湧き出る神田川沿いにある
高さ約16m
2006年(皇紀2666)平成18年10月29日
御鎮座1200年祭により再建される
<一の鳥居>
<二の鳥居>
<三の鳥居>
<東鳥居>
<西鳥居>
<本殿(重要文化財)>
「浅間造」と称される二重の楼閣造で棟高45尺
1階は桁行5間・梁間4間、葺卸の宝殿造、2階は間口3間・奥行2間の流造、共に桧皮葺
葵紋と棕櫚の紋が刻まれ、また蟇股には菊花紋や葵紋などが刻まれている
1604年(皇紀2264)慶長9年、徳川家康の寄進により建立
<拝殿>
檜皮葺、外側・内側は丹塗、蟇股・虹梁彫刻などは極彩色
間口5間、奥行5間で、床が幣殿より2段高くなっている
正面が妻入、入母屋造、背面が切妻造、正面に向拝が1間出ている
正面に扉があり、左右は蔀戸によって区切られており、正面左右には濡縁を巡らせている
1604年(皇紀2264)慶長9年、徳川家康の寄進により建立
<幣殿>
檜皮葺、外側・内側は丹塗、蟇股・虹梁彫刻などは極彩色
幣殿は、本殿と拝殿をつなぐ「作合」と称される部分
間口5間、奥行3間の両下造、北面には本殿の屋根の端が露出している
元は石畳でしたが、現在は床に改修されている
1604年(皇紀2264)慶長9年、徳川家康の寄進により建立
<透塀>
<楼門>
間口4間、奥行2間半、高さ6間半、2階入母屋造で、正面・左右脇に扉がある
楼門の左右には随身が安置されていて、背銘に1614年(皇紀2274)慶長19年の年号がある
扁額は、聖護院入道盈仁親王の御筆で、1819年(皇紀2479)文政2年に制作されたもの
<湧玉池(特別天然記念物)>
東脇門を出たところにある
富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出している
富士山登山者は、この霊水に禊ぎをして登山する習わしがある
平安時代の歌人 平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠んだ
<神幸橋>
湧玉池の南にある
かつて行われていた浅間大社と山宮浅間神社間を往復する「山宮御神幸」の神事の起点となっていたところ
<水屋神社>
湧玉池の清水の湧出する水源の岩上に、朱塗りの社が建てられている
<眼鏡池>
楼門前の池
中央の輪橋は大正天皇御大典記念として石造りに改修された
<桜の馬場>
楼門前に、東西へ伸びる馬場がある
御神木の桜などが植えられている
5月5日には神事流鏑馬式が行われる
<鉾立石>
楼門前の石段上にある自然石
明治初年まで行われていた山宮御神幸のとき、神鉾を休め奉った所
<信玄桜>
武田信玄の寄進で7本の枝垂桜が手植えされたといわれる
拝殿の前にある現在の枝垂桜はそれらの2世
<流鏑馬像>
<火山弾>
<南極の石>
<山宮>
北東に約6kmのところ
社殿が無く古木や磐境を通して富士山を直接お祀りする古代祭祀の原初形態を残すところ
景行天皇年間(71年〜131年)
景行天皇の時代に磐境が設けられ、特定の場所で祭祀が行われるようになったところ
富士山8合目以上の約120万坪が奥宮の境内
かつては、富士山興法寺の大日堂があった
明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈により仏像が取り除かれ、跡地を久須志神社として、浅間大社の末社とされた
1779年(皇紀2439)安永8年に江戸幕府により、八合目以上が与えられ、明治時代以降一時国有化されていたが
2004年(皇紀2664)平成16年の裁判に基づき、浅間大社に土地が返還される
<奥宮>
表口(富士宮口)から登頂したところに鎮座する
御祭神:浅間大神(木花咲耶姫命)、相殿神:邇邇芸命・大山津見神
御扉には金色で「國鎭無上嶽」と記されており、建物内には「高齢者記帳所」が設けられている
7月11日に開山祭が行われ、8月末まで神職が常駐して祭事やお守り等の授与が行われている
8月15日には、例大祭が行われる
<奥宮末社 久須志神社>
須走口、吉田口、河口湖口からの登山道の頂上に鎮座する
祭神:大名牟遅命・少彦名命
<登拝>
富士山の御神徳を拝しながら、金剛杖をつき「六根清浄」を唱え登山すること
頂上では両奥宮参拝後、お鉢(火口の事)廻りをする
江戸時代には、「富士講」と称される団体登山が行われるようになる
<お鉢廻り>
噴火口は幽宮され禁足地となっており「大内院」と称される
噴火口の周辺に、剣ヶ峰・白山岳・久須志岳・成就岳・朝日岳・浅間岳・駒ヶ岳・三島岳の八神峰があり、
これらを巡回することを「お鉢廻」と称される
<金明水・銀明水>
頂上に湧く御霊水
金明水は、久須志神社の西北方、白山岳に麓に、銀明水は、御殿場口登下山道の起点にある
<摂社 三之宮浅間神社>
祭神:浅間第三御子神
<摂社 七之宮浅間神社>
祭神:浅間第七御子神
<末社 水屋神社>
祭神:御井神・鳴雷神
<末社 稲荷神社>
祭神:宇迦之御魂大神・猿田彦大神・大宮能売神
<末社 厳島神社>
祭神:市寸島比売命
<末社 天神社>
祭神:菅原道真
<奥宮末社 久須志神社>
祭神:大穴牟遅神・少名毘古那神
<絹本著色 富士曼荼羅図(重要文化財)>
室町時代の作
「富士大宮御神事帳(1577年(皇紀2237)天正5年)」には、65の祭礼が記載されている
現在の恒例祭典には、159の祭礼があるとされる
<初詣・歳旦祭>
1月1日
新年を告げる初太鼓が打ち鳴らされると同時に、境内一円でその時を待つ参拝者が、一斉にお参りされる
生命力溢れる初日の出を迎える時に一年の繁栄と安泰を祈念される
1月2日には、餅つきや太鼓の奉納がされる
<節分祭>
2月立春前日
「追儺式(ついなしき)」とも称される
節分のご祈祷・鳴弦式・年男の豆まきが行われ、厄除招福が祈願される
<針供養祭> 2月8日
<紀元祭> 2月11日
<祈年祭> 3月17日
<桜花祭> 4月1日
<初申祭>
4月初申の日
本宮・山宮両社を参拝し、豊かな実りを祈願する
かつては大祭礼とされ、山宮へ御鉾を渡御する御神幸など盛大に行われていた
明治初期から中断されていたが、2006年(皇紀2666)平成18年、大宮鎮座1200年を記念して復興された
<流鏑馬祭>
5月4・5・6日
5日の本祭日には、神前で祭典が行われた後、古式流鏑馬が奉納される
午後からは、鎌倉絵巻にように市内を練り歩き、勇壮な流鏑馬が奉納される
1193年(皇紀1853)建久4年
源頼朝が富士の裾野で巻狩を行ったとき、武運長久・天下太平を祈願して奉納したことが由来
<夏越大祓>
6月30日午後4時頃
半年毎に、知らず知らずのうちに心身についた罪穢れを、祓清める神事
茅の輪くぐりも行われる
<富士山開山>
7月1日
本宮と奥宮で、富士山の山開きにあたり、安全を祈願される
<御田植祭>
7月7日
神田の田植を行うにあたり、富士山からの湧水への感謝と五穀豊穣を祈願される
本宮での祭典後、神田宮で御田植神事と早乙女による田植舞が奉納される
<富士山頂上奥宮例祭> 8月15日
<富士大宮司家墓前祭>
9月26日
富士大宮司家を顕彰し、墓所の清掃整備して、墓前祭が行われる
801年(皇紀1461)延暦20年
富士大宮司家の始祖 和邇部家17代豊麿が、富士郡大領、浅間大社祀職を任じられ、姓を「富士」に改め、
浅間大社の大宮司を世襲していく
鎌倉時代末期には、安芸の厳島・尾張の熱田と共に日本3大宮司家と称された
<神嘗奉祝祭> 10月17日
<例祭>
11月3・4・5日
市内では華やかな山車が曳き回され、富士宮囃子(県指定無形民俗文化財)が賑やかに奉納される
かつては、4月・9月・11月の申の日に行われた大祭礼の一つ
<新嘗祭> 11月23日
<師走大祓(しわすのおおはらい)>
12月31日午後4時頃
半年毎に、知らず知らずのうちに心身についた罪穢れを、祓清める神事
<師走大祓式・除夜祭> 12月31日
<北条泰時の歌の詞書>
「駿河国に神拝し侍りけるに、ふじの宮にてよみて奉りける」(新勅撰和歌集)
<平兼盛の歌>
「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」