島原住吉神社(しまばらすみよしじんじゃ)(Shimabara Sumiyoshi Jinjya)

所在地:京都市下京区西新屋敷下之町   鳥居地図情報鳥居

祭神:住吉大神宇迦之御魂大神
   幸天満宮:菅原道真

ご利益:良縁祈願

 島原住吉神社(しまばらすみよしじんじゃ)は、島原の西北端の千本通に、南面して立つ神社

 江戸時代には、日本最初の遊郭である島原の鎮守の神さんとして信仰され、
例祭では、島原太夫や芸妓などが参列する練りものが盛大に行われていた

 明治時代初期に一度、廃社になり、伝統ある島原の鎮守社を復活させようと狭い境内ながら復興される
 島原西門跡が隣接している

 境内社に幸天満宮があり、江戸時代には、鷽替神事が盛大に行われていた

【島原住吉神社の歴史・経緯】

【島原住吉神社の祭神】

 住吉大神宇迦之御魂大神が祀られている

 <住吉大神
 住吉大神とは、住吉三神と、住吉大社に共に祀られている息長帯比売命を加えた四柱を示す
  住吉三神:底筒之男神(ソコツツノヲノカミ)・中筒之男神(ナカツツノヲノカミ)・上筒之男神(ウハツツノヲノカミ)・
  息長帯比売命神功皇后

 <宇迦之御魂大神
 穀物の神様とされる稲荷神

 <菅原道真
 幸天満宮に祀られている


【島原住吉神社の境内】

 島原の西北端の千本通に、南面して立つ

 創建当時の規模は、
 南は道筋(島原中央の東西道)から、北は島原の北端にまで、広大な境内地があったといわれる

 一度、廃社になり、狭い境内ながら復興される

 <本殿>
 <拝殿>

 <境内社 幸天満宮(さいわいてんまんぐう)>
 当初は、揚屋町の会所の祠に祀られていた天神さんが、現在の地に幸天満宮として遷座された
 明治時代まで、筑紫太宰府天満宮にならい、鷽替の神事が行われていた

 <大銀杏>
 現在の島原住吉神社の北隣は旧境内だったところで、旧境内の北端に植えられていた大銀杏が立っている
 島原住吉神社の廃社後も、ご神木として残された
 樹高約20m、幹回り約3.5m、樹齢約300年

 <弁財天社>
 大銀杏をご神木として、
 根元に、弁財天歳白龍王美須龍王が祀られている祠がある
 1930年(皇紀2590)昭和5年に、創建された

【島原住吉神社の祭事】

 <元旦祭> 1月1日
 <幸天満社祭(梅花祭白梅・御茶献供)> 1月25日
 <初午祭> 2月28日
 <節分祭・豆撒き神事> 2月節分
 <夏越大祓式・人形祓い> 6月30日
 <例大祭> 9月28日か前の日曜日
 <火焚祭・火焚神事> 11月28日
 <大祓式・人形祓い> 12月31日

 <月次祭> 毎月28日


 江戸時代には、
 例祭が盛大に行われ、島原太夫や芸妓等が参列する練りものも行われていたといわれる


【その他】

 <鷽替神事(うそかえしんじ)>
 江戸時代後期に、幸天満宮が遷座されてから、明治時代まで行われていた神事
 筑紫の太宰府天満宮と同様に行われていた

 色紙や短冊などを持ち寄り「鷽を替えん」と言いつつ交換しあう
 小鳥の鷽(うそ)が「嘘」に通じることから、前年についた嘘を詫び、本年は真(まこと)になる事を祈念し
祈願の書かれた短冊などを参加者同士が「鷽を替えん」と言いながらランダムに交換しあう作法の神事

 鷽は、祭神の菅原道真とゆかりのある鳥だといわれており、
菅原道真が蜂の大群に襲われたときに鷽に救われたとか、天満宮の建築用材を食べていた虫を鷽が退治したなどといわれる

 神事は、見物客などで賑わったが、明治時代に衰退してしまった


 <歌碑>
 江戸時代中期の国学者 富士谷成章(ふじたになりあき)の歌が刻まれている

 島原住吉神社:「住吉の 松の常盤に 春はなほ 色香あらそふ 神垣の梅」 富士谷成章

 幸天満宮:「曇りなく 神の光も やはらぎて ちりづか山に 交る瑞垣」 富士谷成章

【島原住吉神社へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 丹波口駅 南に徒歩約10分

 市バス 梅小路公園前 徒歩約10分

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