篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)(ShinomuraHachimanGuu)

所在地:亀岡市篠町篠八幡裏   鳥居地図情報鳥居

祭神:誉田別尊応神天皇
合祀:仲哀天皇(応神天皇の父親)・神功皇后応神天皇の母親)

社格:村社

創建:後三条天皇

境内全域:亀岡市指定史跡(足利高氏旗挙げの地)

 篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は、亀岡市の東部、篠町にある神社

 丹波国山城国の境に位置し、山陰街道が通じている交通の要衝地になっていた

 足利尊氏が数度参拝をしており、鎌倉幕府打倒を目指し、戦勝祈願の願文と鏑矢を奉納し挙兵をした地

 明智光秀が、本能寺の変において、軍勢1万3000を率いて亀山城を出発し、この地で重臣と軍議を開き、
本能寺を宿所にしていた織田信長の討伐を告げたともいわれる

【篠村八幡宮の歴史・経緯】

 平安時代中期
 延喜年間(901年〜923年)の以前より、
 この地で疫神祭が行われ、疫神社が祀られたといわれる

 1071年(皇紀1731)延久3年
 後三条天皇の勅宣により、奥州鎮守府将軍 源頼義が、河内国(大阪府羽曳野市)応神天皇陵に祀られていた誉田八幡宮から、
都の守護のため祭神を勧請し、創建したとされる
 卜部兼延の奉行により鎮座されたともいわれる

 1072年(皇紀1732)延久4年5月13日付の源頼義の社領寄進状が現存する

 篠村の荘園は、藤原氏によって開かれたものであったが、源氏が相伝することになり、源頼義が、河内国守となったことから
その荘園に守護神を勧請されたものとされる

 文治年間(1185年〜1190年)
 丹波国篠村が、最福寺(西京区松尾)の延朗(源氏一族の)の領知となる

 1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年 元弘の乱
 4月27日
 足利高氏(源頼義から10代末裔)は、幕府により後醍醐天皇の追討のために派遣され京都に入る
 後醍醐天皇の詔勅により、幕府に反して後醍醐方につき、久我畷の戦いで幕府軍の大将 名越高家の討死後、
 一旦、丹波国篠村に兵を引く

 4月29日
 足利高氏は、篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉納する
 10日間滞在し、篠村八幡宮に一帯に布陣を敷き兵を募る

 5月7日
 足利高氏は「朝敵北条氏を打倒する」として、篠村八幡宮から老ノ坂峠を越え京都に入り、六波羅探題を攻め滅ぼす

 建武の新政を行う後醍醐天皇と決別し、天皇は新田義貞に足利尊氏の追討を命じる

 1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年1月30日
 足利尊氏は、京都攻防戦で北畠顕家軍に敗れる
 2月1日まで、篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに、社領を寄進して再起祈願を行う

 足利尊氏は、敗残兵をまとめて九州へ逃れ、体勢を立て直すと京都に戻り室町幕府を開くことになる

 1349年(皇紀2009)正平4年/貞和5年8月10日
 足利尊氏が、篠村八幡宮に勝利のお礼の参拝をする

 歴代足利将軍からも多くの社領を寄進される

 1351年(皇紀2011)正平6年/観応2年頃
 足利尊氏により社殿が建立されたといわれる

 この頃、別当職(社寺の管理)は醍醐寺塔頭三宝院が務めていた

 室町時代
 足利将軍家より荘園寄進が相次ぎ、境内は王子村・山本村にもおよび、神宮寺・社殿など30ほどあったといわれる

 1439年(皇紀2099)永享11年
 供御所、神宮寺が造営され本尊が祀られた

 応仁の乱により焼失する

 安土桃山時代
 天正年間(1573年〜1592年)
 織田信長の命による明智光秀丹波平定の兵火により衰退する

 1582年(皇紀2242)天正10年6月 本能寺の変
 明智光秀は、軍勢1万3000を率いて亀山城を出発し、
この地で重臣と軍議を開き、本能寺に宿泊している織田信長の討伐を告げたともいわれる

 江戸時代
 源氏を称した亀山藩藩主 松平氏の直轄神社となる

 寛永年間(1624年〜1644年)
 亀山城城主 菅沼定芳によって本殿が改修される
 以降、亀山城城主の直轄神社とされる

 1652年(皇紀2312)承応元年 亀山城城主 松平忠晴により現在の大鳥居が寄進された
 1677年(皇紀2337)延宝5年 亀山城城主 松平忠昭により社殿が改修される
 1702年(皇紀2362)元禄15年 亀山城城主 井上正岑により社殿が改修される
 1728年(皇紀2388)享保13年 亀山城城主 青山俊春により社殿が改修される

 1908年(皇紀2568)明治41年 本殿の改修が行われ、檜皮葺屋根の葺替えが行われる
 1923年(皇紀2583)大正12年 現在の拝殿が建立される
 1980年(皇紀2640)昭和55年 本殿屋根を銅板葺に改修される

 1986年(皇紀2646)昭和61年
 境内全域が「足利尊氏旗挙げの地」として、亀岡市の史跡に指定される

 2000年(皇紀2660)平成12年
 疫神社の改修にともない神霊を仮遷座したときに、
 樟日命(ショウビノミコト)と伊勢神宮伊邪那岐命の神籬(ひもろぎ)が祀られているのが見つかる

 2006年(皇紀2666)平成18年
 足利尊氏の「願文」と「御判御教書」が京都府文化財に指定された



【篠村八幡宮の祭神】

 祭神:
  <誉田別尊応神天皇)>

 合祀神:
  <仲哀天皇(応神天皇の父親)>
  <神功皇后応神天皇の母親)>



【篠村八幡宮の境内】

 3,000坪の広い境内がある

 <大鳥居>
 新道 異人街道に面して建てられている
 「八幡宮」の扁額は1966年(皇紀2626)昭和41年のもの

 <本殿>
 一間社流造

 紅白の反物を切り分けて、奉献者氏名・生年月日を記入し、本殿・末社などの鈴の緒に付ける習わしがある

 <拝殿>
 間口2間、奥行2間半
 1923年(皇紀2583)大正12年の建立

 <相撲土俵場>
 1965年(皇紀2625)昭和40年に設置された

 <石碑「足利高氏旗あげの地」>


 <尊氏公旗立楊の碑>
 境内の北、旧山陰道の脇、楊の木の根元に立てられている
 1991年(皇紀2651)平成3年の建立

 1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年4月27日
 足利高氏は、篠村八幡宮の境内一帯に布陣し、出陣の5月7日までの間に倒幕の兵を募った
 山陰道に面して立っていた楊の木に、「二つ引両」の家紋が入った源氏の大白旗を掲げて、本営の目印にした
 23,000騎が参集したといわれる

 <旗立楊(はたたてやなぎ)>
 楊(やなぎ)は、柳のように枝が枝垂れしない
 の材料にされたことから、「矢の木」ということで名付けられといわれる
 1992年(皇紀2652)平成4年に挿木された6か7代目の木といわれる


 <矢塚>
 境内本殿左手にある
 塚の石碑は、1702年(皇紀2362)元禄15年の建立

 1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年4月29日
 足利高氏は、戦勝祈願の願文を奉納し、玉串に代えて、合戦開始合図に使う鏑矢を奉納した
 実弟 足利直義らの武将たちが続いて次々と鏑矢を奉じ、社前に山のように積まれたといわれる
 矢塚は、これらの鏑矢を埋納したところとされる


 <ツブラジイの大木(亀岡の銘木100選)>
 矢塚の上に樹齢660年のツブラジイの大木があった
 1934年(皇紀2594)昭和9年の室戸台風で倒木
 太平洋戦争の出征者が、この木で肌身守りを作り戦地に赴いたといわれ、戦死者も少なかったといわれる
 現在のツブラジイの大木は2代目
 樹高約27m、幹回約5m

 <農地報償の碑>

【摂末社】

 <乾疫神社(いぬいやくじんじゃ)>
 祭神:建早須佐之男神大己貴神少名彦名神
 日本最古の疫神社の一つとされる
 延喜年間(901年〜923年)に、勅願により畿内110か所で疫神祭が行われた厄除けの神社の一つといわれる
 山陰街道より平安京に侵入する疫病・悪霊・怨霊などを防ぐために、勅願により建立されたといわれる
 平安京の北西(乾)の方角に位置することから「乾疫神社」と称された
 かつて10か所あったという疫神社のうち、現存するのは今宮神社、石清水八幡宮、当社の3社のみとされる
 厄除け、病気平癒、健康、家内安全の信仰を得ている

 例大祭:1月19日


 <稲荷神社>
 伏見稲荷大社から勧請されたといわれる
 1984年(皇紀2644)昭和59年に改築された


 <祖霊社>
 歴代神職御霊が祀られている
 1977年(皇紀2637)昭和52年に、靖国神社から勧請した当地出身の太平洋戦没者55柱が合祀された
 慰霊祭(8月第3第4日曜日)


 <祓戸社>
 瀬織津比売神、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、
 速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)が祀られている
 手水舍で身体を清めた後、当社に参拝して心を清める


 <小宮社四社>
 右より秋葉神社・愛宕神社、住吉神社・春日神社・日吉神社、皇大神宮・豊受大神、天満宮
 近郷で祭祀していた神社を、境内に遷したものといわれる


【篠村八幡宮の文化財】

 <足利高氏願文1巻(附 足利尊氏御判御教書1巻)(京都府指定有形文化財)>
 1333年(皇紀1993)元弘3年4月29日付
 足利尊氏が奉納した真筆の願文

 <御判御教書(京都府指定登録文化財)>
 1336年(皇紀1996)建武3年3月22日付

 <源頼義公寄進状>
 1072年(皇紀1732)延久4年5月13日付

 <脇差3振>
 戦国時代の脇差3振

 <甲冑「白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜」>
 大鎧・筋兜ともに鎌倉時代末期から南北朝時代初期の作品
 現在、アメリカのメトロポリタン美術館が所蔵しているもの
 かつて、足利尊氏が当篠村八幡宮に奉納したとものといわれる
 明治時代末期に、所有者から売りに出され、アメリカの日本甲冑愛好家に買われ海外に流出したといわれる



【篠村八幡宮の祭事】

 <歳旦祭> 1月1日
 <乾疫神社例大祭・厄除祈願祭> 1月19日
 <左義長祭・どんど焼き> 1月成人の日
 <足利尊氏公顕彰祭> 4月29日
 <ちびっ子相撲大会> 6月第1日曜日
 <大祓祭> 6月30日
 <祖霊祭・戦没者慰霊祭> 8月第3日曜日か第4日曜日
 <放生会・相撲大会千・泣き相撲・灯明奉献> 9月第3日曜日
 <秋季例大祭> 10月25日
 <大祓祭> 12月30日

 <月次祭> 毎月1日、15日

【篠村八幡宮へのアクセス】

 JR山陰本線(嵯峨野線) 馬堀駅 徒歩約20分

 亀岡駅から京阪京都交通バス 篠 徒歩約5分
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