崇道神社(すどうじんじゃ)は、左京区上高野(かみたかの)にある神社
濡れ衣により廃太子されたまま死亡した早良親王の祟りを鎮めるために創建された
崇道天皇と追号された早良親王のみを祭神としている唯一の神社
高野村の産土神とされる
付近一帯は、遣隋使を排出した小野一族の里でもあり、小野妹子の子の小野毛人のお墓や小野神社もある
<本殿>
一間社流造
<拝殿>
<手水舎>
湧き水が流れ出ている
<打たせ滝>
<五味藤九郎之碑>
「昼なほ暗き 幽玄の森」
1677年(皇紀2337)延宝5年
五味藤九郎は、高野川の清流を高野村川南台地へ通じさせるため、上高野山麓の臣岩を貫通させて水路を開設
当地の農業と、住民の生活に多大なる恩恵を与えた
<里堂>
神輿庫になっている
<小野毛人墓>
発掘された「金銅小野毛人墓誌(国宝)」から、最初の遣隋使である小野妹子の子 小野毛人のお墓とされる
石板で作られた幅1m、長さ2.5m、高さ1mの石室
1984年(皇紀2644)昭和59年
京都市指定史跡に指定される
<紀念碑>
<伊多太神社>
祭神:伊多太大神
上高野の最古の神社で、式内社とされる
伊多太(いたた)は「湯立て」を意味し、出雲系の農耕守護神、湧き水の神とされる
応仁の乱で焼失後、1883年(皇紀2543)明治16年に再興され、1908年(皇紀2568)明治41年に崇道神社に合祀された
上高野大明神町には旧跡が保存されている
<出雲高野神社>
祭神:玉依姫命
式内社とされる
<小野神社>
祭神:小野妹子・小野毛人(おののえみし)
式内社とされる
小野一族を祀る
背後の山腹に祭神である小野毛人のお墓がある
<観世音堂>
小野神社の東側にある小さな祠
如意輪観世音大菩薩尊が祀られている
<末社>
天照大御神・豊受大御神を祀る
<末社>
北野天満大神・弁財天大神・八幡大神・市杵嶋姫大神を祀る
<末社>
春日大神・赤山大神・十二社大神を祀る
<末社>
日吉大神・貴船大神・恵比須大神を祀る
<末社>
長岡大明神を祀る
<観世音堂>
小野神社の東側にある小さな祠
如意輪観世音大菩薩尊が祀られている
<金銅小野毛人墓誌(国宝)>
奈良時代の墓誌
銅製・鍍金、長さ58.9cm、幅5.9cm
附銅函一合(延宝元年11月在銘)、発掘関係書類1通
墓誌には「小野毛人朝臣之墓」と記されている
1613年(皇紀2273)慶長18年
崇道神社背後の山中で発見され、花崗岩の板石を組み合わせた土葬石室に埋納されていたという
1673年(皇紀2333)寛文13年
銅製墓誌函が作られる
1697年(皇紀2357)元禄10年
再び埋納される
1705年(皇紀2365)宝永2年
発見に関する文書が記されている
1913年(皇紀2573)大正2年
お墓の調査に伴い再び発掘され、墓誌は京都国立博物館に保存されたとある
小野毛人(おののえみし)は、遣隋使である小野妹子(おののいもこ)の子で、天武天皇の時代には太政官兼刑部大輔にあったという
677年(皇紀1337)白鳳6年にお墓が作られている
墓所は、山城国愛宕郡小野郷にあたり、小野一族の墓域に比定されている
墓誌の作製は小野毛人の子の小野毛野による追納とされる
<元旦祭> 1月1日
<成人祭・勧学祭(伊多太神社)> 1月15日
<節分祭> 2月節分
<祈年祭> 2月17日
<宵宮祭(伊多太神社)>
5月4日
<例祭・神幸祭(伊多太神社)>
5月5日
奇祭で、「お神輿一基の神幸の道は定まらず、ただ神慮で田畑川筋に限らず、常に道なき所を渡る
これに逆らうと神輿が重くなり、神輿が人家の方へ向かうときは軒を破り、御霊の心が伴わなければ動かない
村民は手に汗を握り、神威を恐れ奉る」といわれる
<花摘祭> 6月30日
<伊多太神社例祭(伊多太神社)> 9月9日
<眞榊祭・神忌祭・小野神社例祭(小野神社)> 10月17日
<新嘗祭> 11月23日
<火焚祭> 12月5日
<除夜祭> 12月31日