承文字八幡宮(しょうもんじはちまんぐう)は、亀岡市市役所の敷地内にある神社
陰陽師 安倍安行が住んでいたといわれる安行山(西山)の麓にある
安行山では、占いに用いる算木(さんぎ)が採れたことから、算木山(さんぎさん)とも称されたといわれる
鎌倉時代には、祈祷・卜占(ぼくせん)や祝福芸能を業とした下級の陰陽師のことを唱門師といい「唱門師八幡宮」とも称される
創祀は不詳
平安時代末期
1150年(皇紀1810)久安6年の頃
天文博士 安倍泰成の子で、安行山に住んでいたといわる陰陽師 安倍安行の創建といわれる
かつては、亀山城城下から穴太寺へ向かう道筋に祀られていたといわれ、
その後、現在の地に遷されたといわれる
境内は、緑に囲まれたスペースの中にある
<本殿>
<石鳥居>
1768年(皇紀2428)明和5年の銘がある
「承文字八幡宮」の扁額がかかっている
<声聞師 唱門師(しょうもんじ)>
鎌倉時代には、唱門師は、祈祷・卜占(ぼくせん)や祝福芸能を業とした下級の陰陽師のことをいう
室町時代には、奈良興福寺に座が結成され、京都など各地で曲舞(くせまい)、猿楽などを行った
江戸時代には、賤民化したといわれる
「承文字八幡宮(しょうもんじはちまんぐう)」の名前の由来になったといわれる
<安行山(あんぎょうさん)>
亀岡市市街地の南西にあり、西山(にしやま)とも称される
標高206m
占いに用いる算木(さんぎ)が採れたことから、算木山(さんぎさん)とも称されたといわれる
山頂には、市街地を一望できる平和台公園があり、磐栄稲荷神社が祀られている
麓から山頂の磐栄稲荷神社への参道の石段に赤い千本鳥居が続いて建てられているのが見える
平安時代末期には、陰陽師 安倍安行が住んでいたといわれる
歩いて登る場合は、亀岡警察署の裏にある三角形の平和池の畔から約15分で登る