俊成社(しゅんぜいしゃ)は、烏丸通沿いにたち、藤原俊成(ふじわらのとしなり)を祀る小さな社
藤原俊成(藤原定家の父親)の邸宅跡といわれ俊成町という地名になっている
藤原俊成は、平安時代末期から鎌倉時代初期の官人・歌人
生年:1114年(皇紀1774)永久2年
没年:1204年(皇紀1864)元久元年11月30日
父親:権中納言 藤原俊忠
息子:藤原定家
最終官位:正三位 皇太后宮大夫
後白河院の院宣により、「千載和歌集」を編纂する
百人一首(息子 藤原定家の編纂)
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
(皇太后宮大夫俊成)
邸宅が五条通(現在の松原通)にあったことから「五条三位」と称された