大将軍神社(たいしょうぐんじんじゃ)は、青蓮院の東、三条通にある神社
桓武天皇が平安京を造営したとき、王城鎮護のため、京の四方に祀られた大将軍神社のうちの東南隅の一つ
特にこの地は、都に入る京の七口の一つ「三条口(粟田口)」の要地で、邪霊の侵入を防ぐ重要なところとされてきた
<主祭神>
素戔嗚尊
素戔嗚尊の四方の和魂(にぎみたま)を「大王」と称し、四隅の荒魂(あらみたま)を「大将軍」と称した
<相殿神>
藤原兼家
この地のあたりに藤原兼家邸「東三条院」が建てられていた
この地は、都に入る京の七口の一つ「三条口(粟田口)」の要地で、邪霊の侵入を防ぐ重要なところとされてきた
<石鳥居>
<東鳥居>
<西鳥居>
<本殿>
<拝殿>
2018年(皇紀2678)平成30年9月
台風21号により倒壊した
<御神木のイチョウ>
樹齢800年といわれる銀杏(イチョウ)の大木
<絵馬堂>
<神馬像>
<神馬舎>
<土蔵>
<鵺の森(ぬえのもり)>
岡崎より三条粟田口を結ぶ南北の鳥居大路(岡崎広道)の西付近にあった
「東三条ノ森」「大将軍ノ森」とも称されていた
「平家物語」に記されている源頼政の鵺退治の伝説がある森
鵺(ぬえ)は、頭は申、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミのような不気味な声で鳴いたといわれるツグミ科の
トラツグミという鳥
<白龍弁財天>
<天満宮>
<荒熊稲荷社>
<隼社>
大祭 5月15日
「大将軍」とは、陰陽道でいう方位の吉凶を司る八神の一つ
桓武天皇が平安京を造営したとき、平安京の四方に大将軍神社を祀られた
東方:東三条大将軍
西方:大将軍八神社
南方:藤森神社境内大将軍社
北方:今宮神社境内大将軍社、西賀茂大将軍
<東三条院>
この地のあたりにあった関白 藤原兼家の邸宅
西対は、清涼殿に模して造られ、西北隅には小池があったといわれる
応仁の乱で焼失してしまう
<東三条社>
東三条院の鎮守とし、藤原兼家の子 関白太政大臣 藤原道長が、父親の神像画を合祀した
現在、境内の天満宮の前に「東三条社」石碑が残されている