請田神社(うけたじんじゃ)は、亀岡市東部の保津町にある神社
保津川(桂川)の北岸、保津峡の入口付近にあり、対岸には桑田神社がある
丹波湖開拓伝説の、保津峡への鍬入れが行われ開拓工事を請け負った(うけた)地とされる
保津川下りに乗船して15分ぐらいの保津峡の入口付近の左側にある
創建は不詳
飛鳥時代
709年(皇紀1369)和銅2年
創祀される
平安時代中期
延喜式神名台帳にある丹波国桑田郡十九座の式内社の一つであるとされる
戦国時代
1563年(皇紀2223)永禄6年
兵火によって社殿や文献が焼失、由緒なども不詳となる
本殿が集落から遠いため、集落内に設けられていた宮ノ上の遥拝所(現在の保津八幡宮)に遷座される
江戸時代初期
寛永年間(1624年〜1644年)
現在の地に戻る
1636年(皇紀2296)寛永13年
当地の豪族 村上氏が、遥拝所跡地に保津八幡宮を創建し、
境内に、請田神社の頓宮を再建し、分霊が祀られる
保津川(桂川)下流にある松尾大社と同じ2柱が祀られている
<大山咋神>
山の地主神、農耕(治水)を司る神さんとされる
<市寸島比売命>
別名を「狭依姫命」と称される
<丹波湖開拓伝説>
亀岡盆地は、太古は湖であったといわれ、湖が開拓された伝承が各地に残っている
請田神社の祭神の大山咋神は、自ら鍬鋤を持って保津峡の山峽を切り開いた神さんで、
丹波湖開拓の着工の鍬入れを受けたので、社名を「請田(うけた)」と称するようになったといわれる
境内は保津川(桂川)に面して南向きで、西からの参道から入る
<鳥居>
<本殿>
石垣の上にある
流造
<拝殿・舞殿>
<稲荷社>
本殿の右手にある
<境外社 請田神社頓宮(京都府指定文化財)>
保津八幡宮の境内にある
かつての集落内の遥拝所に建てられた
一間社流造
<秋例大祭>
10月21日
前日には、宵宮祭が行われる
<保津の火祭>
秋例大祭の宵宮に、保津八幡宮で行われる
本宮から保津八幡宮の頓宮に神霊を迎える火祭の神事が行われる
保津八幡宮から68基の高張り提灯を持った行列が往復する
頓宮前では、火が焚かれ「あつい・あつい」と言いながら、行列が火のまわりを3回廻って奉持物を神前に納める
この火にあたると、その年の健康を約束されると言われている
68基の高張り提灯の行列は、花傘・太鼓・榊・剣鉾神宝・行灯なども持ち、
太鼓を叩く赤熊(しゃぐま)と榊持ちの子どもたちが、はやし声を交わしながら進んでいく