梅宮大社(うめのみやたいしゃ)の祭神は、嵐山の南、四条通の西端近くにたつ神社
祭神は、日本最古の醸造の祖神といわれる
酒解子神が一夜にして身ごもったといわれ、子授けと安産の神として信仰を集め、
本殿の横のまたげ石は、子授けのご利益があるといわれる
かつて「梅宮」を「産宮」と書き、「産む」にちなんで「梅」が植えられたといわれ、梅が神花とされている
3つの神苑は、梅・桜・杜若・霧島つつじ・杜若・花菖蒲(はなしょうぶ)・紫陽花(あじさい)・睡蓮などが咲く、
花の名所の美しい庭となっている
祭神に、酒解神−酒解子神−小若子神の親子3代と、小若子神の父 大若子神
橘清友公−橘嘉智子−仁明天皇の親子3代と、仁明天皇の父 嵯峨天皇が祀られ、
血脈相続の守護神とされる
<本殿四座>
酒解神(さかとけのかみ)(大山祇神)は、初めてお酒を作って神々に献じた酒造の祖神
酒解子神(さかとけごのかみ)(木花咲耶姫命)は、酒解神の子供神
大若子神(おおわくごのかみ)(瓊瓊杵尊)は、酒解子神の夫
小若子神(こわくごのかみ)(彦火火出見尊)は、大若子神と酒解子神の子供神
酒解子神は、大若子神と一夜の契りで小若子神を懐妊されお生みになり、
酒解子神は、歓喜して狭名田(さなた)の稲をとって天甜酒(あめのうまざけ)を造り飲まれたという
この神話から、安産と造酒の神さんとして信仰を集めてきている
<相殿四座>
本殿四座と同じ関係の
嵯峨天皇と、その子の仁明天皇、嵯峨天皇の后の橘嘉智子(檀林皇后)、橘嘉智子の父親 橘清友が祀られている
檀林皇后(だんりんこうごう)が、子宝に恵まれず、梅宮大社で子授け祈願をされ、
御産殿「鈴の御殿」の床に、梅宮大社の砂を産屋に敷きつめて仁明天皇を安産されたといわれ、
子授け・安産の神さんとして信仰されるようになる
嵯峨天皇は、書道に秀で三筆の第一であり、
檀林皇后は、唐より名禅僧義空を招いて学問の寺 檀林寺を創建され、
摂社の祭神 右大臣 橘氏公(たちばなのうじぎみ)は、日本最初の学校 橘学館院を創設され、
橘逸勢は、三筆の一人であり、
学業成就の守護の神々として尊崇されてきている
仁明天皇は、日本最初の作曲者、横笛の名手であり、音楽芸能の守護神として崇められている
平安時代
梅宮大社のある梅津は、王朝貴族の夏の別荘地だった一帯
神苑は、その趣が残っている
<本殿(京都府登録文化財)>
流造
江戸時代中期
1700年(皇紀2360)元禄13年の再建
<楼門(京都府登録文化財)>
左右に兵杖を帯びた神像を安置されている「随身門」
豊磐間戸命(とよいわどまどのみこと)と奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)が安置されている
二層部には奉納された酒樽が並んでいる
1700年(皇紀2360)元禄13年の再建
1828年(皇紀2488)文政11年
台風により大破し再建される
<拝殿(京都府登録文化財)>
1700年(皇紀2360)元禄13年の再建
1828年(皇紀2488)文政11年
台風により大破し再建される
<またげ石>
本殿の東側に置かれている子宝の2つの丸い石、「血脈相続の石」といわれる
夫・妻の順に3回またぐと子宝に恵まれるといわれている子授け祈願の霊石
皇子をなかなか授からなかった嵯峨天皇の檀林皇后が、梅宮大社に祈願して、
後の仁明天皇(にんみょうてんのう)を授かったといわれる
現在は、またげ石には、ご夫婦ご一緒に子授けの祈祷を受けると案内していただける
白砂は、安産のお守りとされている
<影向石(ようごうせき)>
本殿の西側にある
「三石(みついし)」「熊野影向石(くまのようごうせき)」とも称される3個の神石
紀州熊野から3羽の鳥が飛んできて石になったといわれ、末社 熊野社の神体となる
<東門>
1700年(皇紀2360)元禄13年の再建
1824年(皇紀2484)文政7年
一修家の寄進により再建される
<神饌所>
1905年(皇紀2565)明治38年の建立
<社務所>
1916年(皇紀2576)大正5年の建立
<池中亭>
1851年(皇紀2511)嘉永4年の建立
<参集殿>
1934年(皇紀2594)昭和9年の建立
<北土塀(練塀)>
1866年(皇紀2526)慶応2年の建立
<築地塀>
1866年(皇紀2526)慶応2年の建立
<池泉回遊式庭園>
江戸時代に造営されたもの
かつては桂川より水を引いていた
茶室 池中亭があり、近年、梅以外の花を加えて花の名所となった
<東神苑>
咲耶池の周りには、杜若、花菖蒲、霧島つつじが咲く名所
島の中にある茶席「池中亭」は「芦のまろ屋」とも称される茅葺(かやぶき)の建物
<西神苑>
35種550本の紅白の花に彩られる梅林
祭神である木花咲耶姫命の「木花」が「梅」の古称といわれ、梅の花が梅宮の神花になっている
金色の枝の「金枝梅」や、1本で紅白を咲き分ける「想いのまま」、呉服枝重、白牡丹、盤上の梅、
樹齢100年以上の老木など珍しいものもある
「冬至梅」は、極早咲で12月末から咲き始める
寒紅梅、丹紅、道知辺などが早咲きで、見頃は2月中旬より3月中旬
遅咲のものは、3月下旬で、山桜と一緒に咲く
江戸時代中期
本居宣長(もとおりのりなが)が梅を献木して
「よそ目にも その神垣とみゆるまで うえばや梅を千本八千本」と詠んだとされる
約50種類の椿も植えられている
ラッパ水仙が道路に沿って咲く
<北神苑>
紅玉池の周りに花菖蒲、八重桜、平戸つつじが咲く
5月下旬〜6月下旬には、東神苑から北神苑にかけて60種類500本の紫陽花が咲き誇る名所
<八重桜(やえざくら)>
1975年(皇紀2635)昭和50年頃から神苑など境内一帯に植樹され、桜の名所にもなっている
神苑の池の周辺など、20種類130本の桜の木がある
淡いピンクの「大手鞠」や「松月」「大提灯」などが植えられた並木道の桜のトンネルが見どころ
<若宮社(京都府登録文化財)>
本殿の向かって右側にある
祭神:橘諸兄 配祀:橘嘉智子(たちばなのかちこ)
橘諸兄は、生前中に正一位になった最初の人
敏達天皇(びだちてんのう)の子孫で、葛城王(かつらぎおう)と称され、
母親 縣犬養三千代が死去されたとき、聖武天皇から贈られた橘の姓を継いだ
聖武天皇の左大臣として仕え、井手に住んでおられたので「井手の左大臣」とも称された
1700年(皇紀2360)元禄13年の再建
<護王社(京都府登録文化財)>
本殿の向かって左側にある
祭神:橘氏公(たちばなのうじぎみ) 配祀:橘逸勢(たちばなのはやなり)
橘氏公(檀林皇后の兄)は、嵯峨天皇の右大臣として仕え、日本最初の学校 橘学館院を創立する
橘逸勢(檀林皇后の従兄弟)は、遣唐使として唐に渡り、嵯峨天皇と弘法大師と共に三筆とされる
お二人は、日本の学問の興隆の基を築かれたとされ、学問の守護神とされる
1700年(皇紀2360)元禄13年の再建
<稲荷社>
祭神:宇賀御魂神 配祀:猿田彦大神
<歳旦祭> 1月1日
<古神札焼納祭(とんど祭)> 1月15日
<甘酒祭>
2月11日
酒造安全、商売繁昌、健康厄除祈願が行われる
酒造家から奉納された新しぼり酒粕から甘酒が作られて、神前にお供えされて、参拝者にも無料接待される
<梅・産祭(うめうめまつり)>
3月第1日曜
子授け祈願・安産祈願が行われる
<献酒報告祭(中酉祭)> 4月中酉の日
<雅楽祭>
4月第3日曜
平安時代に、梅宮例大祭で初めて雅楽が奏されたことから「雅楽祭」と称されるようになる
<例祭(神幸祭)>
5月3日
子供神輿16基などが氏子町を練り回る
<仁明天皇祭> 5月第2日曜日
<献酒祭> 5月中旬
<檀林皇后祭> 6月第3日曜日
<夏越大祓祭> 6月30日
<清友公例祭> 7月2日
<嵯峨天皇祭(夏祭)> 8月最終日曜
梅津六斎念仏が奉納される
<醸造安全繁栄祈願祭(上卯祭)> 11月上卯日
<七五三詣り> 11月15日
<年越之大祓(除夜祭)> 12月31日