山国神社(やまぐにじんじゃ)は、右京区の北部、京北町にある神社
社殿のすぐ裏(南側)を、大堰川(桂川)が流れている
平安遷都のときの大内裏の造営のための、杉・檜・松などの材木を提供し、御杣御料地(みそまごりょうち)として定められ、
それ以来、鮎や松茸といった産物を皇室に献上されている
明治維新のときに、新政府軍の山国隊が結成され、戊辰戦争で活躍し、
時代祭の維新勤皇山国隊として先頭を務めている
<大己貴命>
大国主命の若いころの名前
少名毘古那神と2柱で、日本の国造りを行った国造りの神さん、農業の神さん
<本殿>
<拝殿>
<春日社>
祭神:天児屋命
<蛭子神社>
祭神:蛭児命(ヒルコノミコト)
<八幡神社>
<神饌所>
<飛地境外社 御霊神社(右京区京北比賀江町坊ヶ瀬)>
祭神:崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文室宮田麻呂、吉備真備、藤原広嗣、菅原道真
末社:八幡神社
<元旦祭>
1月1日
<えびす祭>
1月10日 午前中
平成時代になってからの恒例神事
<歳ノ木祭(祈年祭)>
1月10日
新嘗祭にお供えした稲穂を斎種(ゆだね)として、半紙に5粒程包み、中へ藁(わら)と榊(さかき)の葉を入れて
各氏子さんの各家へ配られる
かつては、田んぼの水口花として立てたり、苗代に差したりして豊穣が祈願された
<神幸祭>
10月第2日曜日の前日 午後7時
御霊神社から、お神輿を車に載せて出発し、氏子中を廻り山国神社にくる
<例祭・還幸祭>
10月第2日曜日
午前11時 還幸祭が行われる
午後1時 神幸行列が、山国神社を出発し、約6km、約5時間かけて御霊神社に戻る
神幸行列は、山国隊軍楽保存会が鼓笛を奏楽し、お神輿が続く
朝から、参道にて、特産品などの即売・展示が行われる
<時代祭>
10月22日
維新勤皇山国隊として、時代祭の時代行列の先頭を務める
<七五三祈祷>
11月23日午前中
<新嘗祭 御火焚祭>
11月23日午後
<天皇誕生祭 大麻領布式>
12月23日
<除夜祭 家内・交通安全祈願祭>
12月31日
<御杣御料地(みそまごりょうち)>
平安遷都にあたり、大内裏の造営の木材を山国郷より納められた
それ以来、大嘗祭の悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の祭殿を造営する用材を提供することが恒例となる
省衛府諸寮官人16人が配置され、山国杣(やまぐにのそま)が営まれた
山林は、大堰川(桂川)上流の京北町山国・黒田、左京区花背・広河原が含まれた
後に、禁裏重代の仕官20人が増員される
寮官36人は、52の子家に分かれ、計88人が「五三寸三尋荒木(ごさんずんみひろあらぎ)」と称される材木を貢納したといわれる
杉・檜皮・桧・松などが、山から斬り出され、大堰川での筏流しにより都に送られた
この地の特産品である鮎、松茸なども朝廷に献上され、皇室との繋がりが深かった
<維新勤皇山国隊>
1868年(皇紀2528)明治元年
王政復古の大号令が宣言され新政府が発足し、新政府軍勤皇隊の総司令官 西園寺公望により募兵要請が行われた
山国神社の宮司 藤野斎、水口市之進、河原林安左衛門らが中心となり、農兵隊「維新勤皇山国隊」が結成された
藤野斎により、隊士34人が、フランス式で訓練され、猟師も兼ねていた農民たちは銃器の扱いにも慣れていた
1月11日
山国隊は、山国神社で祈願を行い、戊辰戦争に出陣する
東山道軍第十三番隊として因幡鳥取藩に属し、新政府軍の東征に従軍する
初陣は、甲州勝沼で、近藤勇の旧幕府軍 甲陽鎮撫隊と戦い、勝利する
その後、上野戦争での彰義隊との交戦、宇都宮の戦いにも参戦している
また、50名ほどの隊士が、御所や京都市中の警護に貢献する
11月に、大総督 有栖川宮の凱旋隊に加わり帰郷する
1869年(皇紀2529)明治2年2月21日、山国神社に凱旋参拝される
1895年(皇紀2555)明治28年10月22日、遷都1100年記念の時代祭で、維新勤皇山国隊が先頭を行進する