山科神社(やましなじんじゃ)は、山科の西南部、西野山の岩屋寺のすぐ南側の山腹にある神社
延喜式神名帳における式内社名神大社とされる
赤穂浪士 大石内蔵助良雄が、山科に邸宅を建て(現在の岩屋寺の近く)約1年ほど隠棲していたとき、
当時は山科神社の奥の院だった岩屋神社に参拝し、大願成就を祈願したといわれる
<本殿 附 石燈籠2基(京都市指定有形文化財)>
一段高台にある
室町時代後期の建築
三間社流造
江戸時代初期に檜皮葺となる
1984年(皇紀2644)昭和59年6月1日 京都市指定有形文化財に指定される
<石鳥居>
参道の途中に立っている
明神鳥居、東照宮型
島木が反っており、島木鼻は水切
1600年(皇紀2260)慶長5年の建立
<舞殿>
<拝殿>
<神庫>
<末社 覆屋>
本殿の右側に、一つの覆屋の中に、複数の末社が建てられている
向って左側から
三社(夷社・山王社・稲荷社)
竃神社
春日社
天満宮社
弁財天社
愛宕神社
<権殿>
本殿の左側にある
<末社 護国社>
本殿の左側、権殿の前にある
<歳旦祭> 1月1日
<例祭(山科祭)> 10月10日
<神宮寺>
北に隣接する、大石内蔵助良雄ゆかりの岩屋寺は、山科神社の神宮寺だったといわれる
<山科一の宮>
山科神社は「山科一の宮」、中臣神社は「二之宮」、三之宮神社はその「三之宮」と称されていた
この3社と、山科神社の奥の宮だった岩屋神社と合わせて「山科宮四座」と称される
中臣神社は、現在、山科祭における山科神社の御旅所になっている
三之宮神社は、1877年(皇紀2537)明治10年まで、山科祭では山科神社とともに神輿巡行が行われていた