御手洗井(みてらいい)は、烏丸通の東側に面して錦小路を上ったところにある井戸
八坂神社 祇園御旅所があったところ
普段は、木の柵により閉じられており、祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(7月24日)の間だけ開放される
<石の鳥居>
竹と松により、七五三縄が飾られるのが慣わしになっている
<社>
注連縄(しめなわ)で飾られている
扁額「八坂神社 御手洗井」がかかっている
<井戸>
織田信長も水質が良いと褒めた名水
約70mの地下から湧いている
普段は閉じられている
<龍穴>
八坂神社の本殿の下には井戸があり、この井戸とつながっている龍穴があるといわれる
井戸の龍神は、神幸祭の神輿に乗って祇園御旅所から八坂神社へ還幸し、再び井戸に戻ってくるといわれる
<「雍州府志」>
江戸時代初期の最初の総合的な地誌によると
「旅所に詣づる者、必ずこの水を汲みて面手を洗い、その後、旅所を拝す」と記されている
<駒札>
「此地は往古祇園社御旅所社務藤井助正の屋敷地で庭前に牛頭天王社を建て毎朝この霊水を奉供。
永禄十一年織田信長上洛の際、御旅所を移転した後もこの井水の格別なるを聞き、
井戸に施錠し鍵は町方に渡し置き毎年祇園会の時のみ、之を開いて諸人へ神水を施行。
明治四十五年烏丸通拡張のため、旧地より原形のまま其の東方現地に移す。
深さ七尋半、水質清冷にして都下の名水として著名。
毎年七月十四日井戸換え二十四日閉じる」と記されている
<藤井助正屋敷跡>
祇園御旅所の社務であった藤井助正の屋敷跡とされる
屋敷の庭前には、牛頭天王社があったとされ、この井戸の水が毎日お供えされていたといわれる
<御手洗井戸開き>
普段は閉じられているが、祇園祭の宵々山(7月15日)の早朝に井戸が開かれ、還幸祭(7月24日)には再び閉じられる
期間中は、くみあげられた水が流れ続けている
<土用の日>
土用の日に、あんころもちと一緒に、この霊水を飲むと一年間、病気をしないといわれる