與杼神社(よどじんじゃ)は、伏見区淀本町の淀城跡公園にある神社
延喜式神名帳に記されている式内社
淀・納所(のうしょ)・水垂・大下津(おおしもず)の産土神さん
3柱
中央:豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト):別名を與止日女(よどひめのみこと)
向かって右側:高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
向かって左側:速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)
境内敷地4,437m2
淀城跡公園とともに風致地区に指定されている
<鳥居>
<本殿(重要文化財)>
三間社流造、銅板葺、床面積46m2
1980年(皇紀2640)昭和55年3月23日に再建される
<拝殿(重要文化財)>
本殿の東側に建つ
一重、入母屋造、妻入形式、杮葺、格天井、正方形の桁行2間、梁行2間(15.5m2)
正面・背面に虹梁、頭貫木鼻、雲肘木の絵様
妻飾に蕪懸魚、細かい狐格子
最下部の地覆石の上に地長押を廻した床板、吹き放しの床は板張り
1607年(皇紀2267)慶長12年
豊臣秀頼によって片桐且元を奉行として再建される
<日大臣社(ひだいじんじゃ)>
本殿が全焼したときに、伊勢神宮より由貴御倉が本殿敷地内に移設されて仮本殿とされた
本殿が再建され、現在の地に移された仮本殿の建物
<長姫弁才天社>
<豊丸社>
<川上社>
<高灯籠>
1759年(皇紀2419)宝暦9年
大坂の豪商 淀屋ゆかりの片岡正英・片岡政冬による寄進
<神輿庫>
お神輿が、向って左側より西社・中社・東社と並んでいる
2007年(皇紀2667)平成19年10月
旧割拝殿を転用して建立された
天明二年(1782年)の瓦銘がある
<社務所>
2000年(皇紀2660)平成12年9月
遷座100周年にあたり新築される
<御旅所>
移転前の水垂(現在の伏見区淀大下津町)にある
<多宝塔>
元禄年間(1688年~1704年)に建立
1868年(皇紀2528)明治元年の神仏分離令で破却された
<元旦祭>
1月1日
商工関係者の出初め祈願祭
<節分祭> 2月節分
<初午祭> 3月初午の日
<秋季大祭>
10月30日から11月3日
神輿渡御、本殿の儀
1902年(皇紀2562)明治35年の現在の地への移転後に、水垂の旧神社跡(御旅所)に3基のお神輿が担がれたといわれる
大下津御旅所より出輿し、新町旅所、納所、水垂村を経て還輿していた
当初は、船に乗せられて桂川を渡る「船渡し」が行われていた
御旅所(水垂の旧神社跡)への往きと戻りが、神輿のすれ違いができないために順序が逆になることで
「あとが先になる淀祭り」と称された
戦争のために、神輿渡御が中断する
戦後に一時復活したが、船渡しではなく宮前橋を担いで渡っていた
1958年(皇紀2618)昭和33年 引き手の事故により再び中断する
2002年(皇紀2662)平成14年 45年ぶりに復活、船渡しでなく宮前橋を担いで渡るようになる
2006年(皇紀2666)平成18年 2基目のお神輿の修理も完了
2008年(皇紀2668)平成20年 3基目のお神輿も巡行する
<稲葉神社>
與杼神社の南にある
淀藩主 稲葉氏が、藩祖の稲葉正成を祀るために建立された
<大徳寺>
山科の稲荷山トンネルの南にある
與杼神社の神宮寺で、桂川右岸の「大荒木の森」にあり「淀大黒」と称されていた