與能神社(よのじんじゃ)は、亀岡市の南西、曽我部町寺蛇谷にある神社
亀岡駅の南西5.5kmほど、国道423号から府道407号線に入って南下したところ、龍ヶ尾山西麓の丘陵先端部にある
周囲には後期古墳が多く分布している
丹波道主命が祀った桑田郡三座(三宅神社・山国神社)の一つ
「日本書記」BC88年(皇紀573)崇神天皇10年9月9日の条によると
四道将軍の一人 丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)が、丹波に派遣されたと記されている
BC87年(皇紀574)崇神天皇11年4月28日
四道将軍が派遣された丹波・越国・吉備国・東海の平定が報告された
「諸国鎮座神秘抄」によれば、
丹波道主命が、国家の平和鎮護のために祀った与能神宮寺が由来とされる
丹波道主命が祀った桑田郡三座(三宅神社・山国神社)の一つとされる
現在の地の北東300mの現在の御旅所を中心に、曼荼羅堂や講堂などの広大な伽藍があったとされる
皇室から篤く崇敬され、口丹波南部の中心として隆盛を極めたという
「谿端與能宮旧記」によると、
平安時代初期
空海が、嵯峨天皇の命により神宮寺を開き、奥ノ院露堂で護摩修行を行ったといわれる
平安時代中期
延喜式神名帳に記されている式内社とされる
鎌倉時代
後嵯峨天皇の代のとき、村山・与能など八庄を神領として寄進されたともいわれる
その後、兵火によって焼失し、そのときの礎石・古瓦などが現存している
鎌倉時代中期
1260年(皇紀1920)文応元年
社殿が建立される
1596年(皇紀2256)慶長元年
地震により社殿が倒壊する
江戸時代初期
1603年(皇紀2263)慶長8年
社殿が再建され、そのときの棟札が残っている
現在、4柱が祀られている
<事代主神(通称:えびすさん)>
<建御名刀神(通称:諏訪さん)>
<天照大御神(通称:お伊勢さん)>
<天児屋命(通称:春日さん)>
「特選神名牒」には、事代主神のみ
「神名帳考證(度会延経)」には、大屋津姫命、
「諸国神社神秘抄」には、事代主神・建御名刀神となっている
龍ヶ尾山西麓の丘陵の先端部にあり、古来より、神社の禁足地として保護されてきた林が広がり、
京都府の與能神社文化財環境保全地区に指定されている
京都府の自然200選(植物の部)に社叢林として選定されている
<石標「郷社與能神社」>
<本殿(京都府登録文化財)>
三間社流造、千鳥破風向拝付
棟札(1603年(皇紀2263)慶長8年)によると、
1260年(皇紀1920)文応元年に、建立される
1596年(皇紀2256)慶長元年に、地震により倒壊する
1603年(皇紀2263)慶長8年に、再建され、そのときの棟札が残っている
1714年(皇紀2374)正徳4年に、改修されたといわれる
<石灯籠>
1414年(皇紀2074)応永21年の銘がある
<祇園社>
本殿に向かって左にある
祭神:素戔嗚尊
<春日社>
本殿に向かって右手に小さな祠がある
<住吉社>
本殿に向かって右手に小さな祠がある
<稲荷社>
春日社・住吉社の祠の奥にある
<乾天満宮>
拝殿から境内右手に石鳥居もある
<百太夫社>
乾天満宮の奥にある
芸能の神さんとして信仰されている
<宮池>
亀が神さんのお使いとされ、田や川で捕まえた亀は、宮池に放たれる風習があるといわれる
<樹林>
スダジイ 幹周約8m
アカガシ 幹周4.6m
スギ 幹周3mなどが育生している
<御旅所>
北東に約300mのところにある
かつて神宮寺だったところ
<奥ノ院露堂>
本殿後方の山中にある
空海が、嵯峨天皇の命により神宮寺を開き、護摩修行を行ったといわれるところ
祭神:露大明神
通称:大杉さん
<例祭>
10月22日
「六華祭」と称される
6つの村の氏子の中で、お神輿を担ぐ輪番が、廻り地蔵で決められる神仏習合の習慣が残っている
<石田梅岩 心学の道のコース>
府道407号線の道路脇に石碑が建っている