吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都大学の南東、吉田山(神楽岡)の麓にある神社
<本殿>
四棟、春日造、朱塗
1468年(皇紀2128)応仁2年に焼失
1534年(皇紀2194)天文3年に再建
1936年(皇紀2596)昭和11年に改修
1977年(皇紀2637)昭和52年に修理
<神鹿座像>
859年(皇紀1519)貞観元年に
奈良の春日大社の春日大神が白鹿に召されて吉田山西麓に鎮座されたことにちなみ、神さんの使いとされ安置された
<拝殿>
<さざれ石>
春日大神の4柱が祀られている
<第一殿:建御賀豆智命、第二殿:伊波比主命(いはいぬしのみこと)>
天照大御神の勅命を、大国主命に伝え、日本国の国譲りに貢献する
諸国を巡り、人々を慈しみ、国土平定に貢献する
<第三殿:天之子八根命>
天照大御神が天岩戸に隠れたときに、禰言(ねぎごと)を奏上する
天孫瓊瓊杵尊に従って、神籬(ひもろぎ)を持って、葦原中国(あしはらなかつくに)に降り祭祀を行う
藤原氏の祖神
<第四殿:比売大神>
天之子八根命の妃神(きさきがみ)
<祭神>
天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)
延喜式式内社の全3132座の日本の全ての神様が祀られている
内東明神社:天照皇大神
内西明神社:豊受比売神(とようけひめのかみ)
<経緯>
1484年(皇紀2144)文明16年11月24日
吉田兼倶が、左京室町にあった社を現在の地に創建、遷座され、吉田神道の根元殿堂とされる
1590年(皇紀2250)天正18年
後陽成天皇の勅命により、八神殿が奉遷され、吉田兼見が鎮魂祭を行う
1609年(皇紀2269)慶長14年
勅命により、神祇官代として、伊勢例幣使(いせれいへいし)の儀礼を行う
1601年(皇紀2261)慶長6年
現在の建物が再建される
<斎場所大元宮社殿(重要文化財)>
朱塗りの母屋が八角形の本殿に、六角の後房を付けた珍しい形をしている
吉田神道の原理による社殿意匠
屋根は、茅葺八角(かやぶきはっかく)
千木(ちぎ)は、南方が内削(うちそぎ)、北方が外削(そとそぎ)
勝男木(かつおぎ)は、南方が丸三個重ね三ヶ所、北方は角二個二ヶ所
棟の中央七角の台に、八咫璽(やたのみたま)が置かれ、七本の火炎型の金具を取り付けられている
<摂社 若宮社>
祭神:天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)
水徳の神
当初、本社の第二殿と第三殿の間に無社殿で祀られていたもの
987年(皇紀1647)永延元年
吉田兼により社殿が建てられる
1648年(皇紀2308)慶安元年
現在の地に創建される
例祭:12月17日
<摂社 神楽岡社>
祭神:大雷神(おおいかづちのかみ)、大山祇神、高オカミ神
神楽岡地主の神、雷除の神として地域の地主神
延喜式の霹靂神といわれる
1877年(皇紀2537)明治10年
摂社となる
例祭:9月23日
神幸祭:10月最終日曜
神輿、稚児、武者の町内巡行が行われる
<末社 神龍社>
祭神:卜部兼倶(うらべかねとも)(吉田兼倶)
卜部兼倶は、大元宮の創始者
1513年(皇紀2173)永正10年の創建
例祭:2月19日
<末社 今宮社>
祭神:大己貴命、大雷神(おおいかづちのかみ)、建速須佐之男命
1816年(皇紀2476)文化13年
現在の地に造営され、「木瓜大明神」と称され、吉田町の産土神(うぶすなのかみ)
社殿内と境内に、四神を配した石がある
神幸祭:10月第2日曜
神輿、稚児、武者、剣鉾の町内巡行が行われる
<末社 祖霊社>
祭神:講員の祖霊
<末社 菓祖神社>
祭神:田道間守命(たぢまもりのみこと)、林浄因命(りんじょういんのみこと)
お菓子の神
林浄因は、日本で饅頭を考案し作った中国 宋の禅僧
1957年(皇紀2617)昭和32年
京都菓子業界の総意により鎮祭される
菓子関係の功労者がの祖霊が、逐次相殿神として奉斎される
大祭:4月19日と11月11日
<末社 山蔭神社>
祭神:藤原山蔭
相殿:恵比須神
藤原山蔭は、吉田神社の創始者
日本のあらゆる食物を始めて調理調味づけた料理人の始祖で、四条流包丁式の祖
包丁の神、料理・飲食の祖神として信仰されている
1957年(皇紀2617)昭和32年
全国料理関係者により創建される
例祭:5月8日
生間流式包丁が奉納される
<末社 三社社>
祭神:多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、狭依毘売命、
多岐津毘売命(たきつひめのみこと)、金山毘古命(かなやまひこのみこと)、
金山毘売命(かなやまひめのみこと)、菅原神(すがわらのかみ)
海運守護の神
当初、吉田家の邸内に鎮祭されていた
1844年(皇紀2504)弘化元年
現在の地に遷座される
例祭:6月17日
<末社 竹中稲荷神社>
祭神:宇賀御魂神、猿田彦大神、天鈿女命
元は独立した神社であったが、創建の詳細は不詳
天長年間(824年〜834年)
「在原業平の住居を神楽岡稲荷神杜の傍にトす」という記録がある
1840年(皇紀2500)天保11年
信者の寄進で、現在の地に創建される
<末社 天満宮>
祭神:菅原道真
1852年(皇紀2512)嘉永5年
智福院に祀られていたものを、現在の地に遷座(せんざ)される
<末社 稲荷小社>
祭神:宇賀御魂神、猿田彦大神、天鈿女命
1872年(皇紀2532)明治5年
吉田山の東麓にあったのを、現在の地に遷座
<節分祭>
2月節分前後日
疫神祭(えきじんさい)、追儺式(ついなしき)、火炉祭(かろさい)が行われる
その追儺式は、「鬼やらい(おにやらい)」として有名
<祈年祭>
3月17日
<例祭>
4月18日
御棚神饌(みたなしんせん)と称される御供えがされ、
南都楽所による倭舞(やまとまい)が奉納される
<夏越祓(なごしのはらい)>
人型人形が奉納され、厄除け「茅の輪」が授与される
神官に続き、唱和をしながら、列をなして茅の輪を三度くぐり、半年間の罪汚れが祓い清められる
<神楽岡社神幸祭>
10月下旬
神楽岡町の氏神の末社 神楽岡社の祭事
神幸祭の神事の後、神楽、鳳輦(ほうれん)、稚児行列が町内を巡幸する
<新嘗祭(新穀感謝祭)>
11月23日
<大元宮例祭>
11月24日