酉(とり)は、十二支の第10番目、動物の鶏(とり)とされる
「漢書」律暦志によると酉は、果実が成熟の極限に達した状態を表すといわれ
陰陽五行説によると、辛酉(しんゆう)の年には革命が起こる年とされ、神武天皇が即位した年(皇紀元年)とされ
平安京への遷都は辛酉の日を選んで行われた
11月の酉の日には、「一の酉」「二の酉」と称される祭事「酉の市」が行われる
鶏(とり)は、キジ科に属する鳥類の動物
世界中で養鶏されている、代表的な家禽とされる
頭部に、鶏冠(とさか)、顎の部分に、肉垂(にくすい)がある
眼球運動ができないので常に首を前後左右に振っている
眼のまばたきは、下から上に被せるように動く
翼は比較的小さく、長距離を飛ぶことはできない、野生化したものは数十mほど飛ぶことがある
足の指は4本で、地上生活に適した足を持っている
酉(とり)は、良いものを多くさん「とりこむ(集める)」といわれ、商売などにも縁起が良く「酉の市」などが行われる
<神さんの使い>
鶏は、天照大御神のお使いとされる
神鶏(しんけい)として、伊勢神宮 内宮などで放し飼いされている
祭神 天照大御神が天の岩戸に隠れられたとき、長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせて誘い出させようとしたことによる
伊勢神宮で20年に1度、社殿を建て替える式年遷宮の「遷御の儀」において、
神職が鶏の鳴き声をまね「カケコー」と3度唱える「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」を合図に儀式が始められる
鳥類の神さんのお使いには、八咫烏(ヤタガラス)(下鴨神社・熊野三山・厳島神社)、鳩(八幡宮)、鷺(さぎ)(氣比神宮)、
雉(キジ)(氷川神社)、鶴(諏訪大社)、鳶(トビ)(大豊神社)など、いろんな鳥類が神さんのお使いとされている
<酉年の守り本尊>
不動明王
憤怒の姿で、迦楼羅鳥の火炎であらゆる煩悩を討ち祓い、
右手の三鈷剣で迷いや邪悪な心を断ち切り、左手の羂索で悪心をしばり良い心を起こさせるとされる
明王の最高位にあり、本来は蓮華座に座るところが、一つ格下の座に座り、慈悲深く衆生を救うといわれる
<辛酉(しんゆう)>
陰陽五行説の「天道不遠 三五而反 六甲爲一元 四六二六交相乗 七元有三變 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」から
1260年に一度の辛酉の年には王朝交代など国家的な大革命が起こるといわれる
「日本書紀」には
601年(皇紀1261)推古天皇9年 辛酉の年に、推古天皇が斑鳩の地に都を置いたことから逆算して
神武天皇が即位した年(皇紀元年)が定められている
平安京への遷都は、辛酉の日を選んで遷都が宣言された
(その後、現在までに日本において京都からの遷都の宣言は行われていない)
<下鴨神社>
末社 言社(ことしゃ)(重要文化財)
大国主命は、神徳により7つの名前を持ち、それぞれ神社が祀られている
干支(えと)(十二支)に対する守護神として、それぞれ生まれ年に参拝する干支詣(えともうで)が行われる
三言社(北社)祭神:志固男神(しこおのかみ)(卯年・酉年守護神)
<猿田彦神社>
本殿の前にある八方位を示す八角形の石の八方位文字盤
決まった方位の文字を順に手のひらを強く当てて祈願すると、願い事がかなうと言われる
金運:巳→酉→丑(みとりうし)の順
<放生院>
十二支守本尊像が祀られている
生まれ歳の干支(えと)による、東西南北と北東、北西、南東、南西の八方角に合わせた八体の守り本尊
酉年生まれ:不動明王
<常寂光寺>
京都御所 紫宸殿を中心に、十二支の方角に祀られた妙見大菩薩を参拝する洛陽十二支妙見めぐりの一つ
「妙見さん」と称される妙見大菩薩は、
北極星・北斗七星を神格化した菩薩であり、諸星の王として宇宙万物の運気を司どり支配する菩薩といわれる
常寂光寺は、子・北の方向にあり「小倉山の妙見宮」と称される
<本能寺の変>
1582年(皇紀2242)天正10年6月1日(前日)の酉の刻(午後6時頃)
明智光秀は、篠村八幡宮で軍議を開き、織田信長を討伐することを告げ、作戦を練ったといわれる
<賀茂祭(葵祭)>
かつては、4月中酉の日に勅使の参拝が行われていた
斎王が、御所車にて斎院を出御され、一条大路で勅使や諸役の行列と合流して、下鴨神社と上賀茂神社に参向する
<松尾大社>
4月中酉の日 中酉祭・醸造完了感謝祭
<梅宮大社>
4月中酉の日 献酒報告祭(中酉祭)
<寿宝寺>
4月中酉の日 鶏霊碑
<三嶋大社>
11月16日 酉祭
<伊勢神宮 皇大神宮(内宮)>
境内に、神さんの使いとしてニワトリが放し飼いにされている
愛鶏家による神宮奉納鶏保存会により、神鶏が奉納されている
<徳神社>
丹波湖開拓のために神々が集まった山頂の徳神社の旧地には「朝日輝き夕日照る所に黄金の鶏が埋めてある」という黄金伝説が伝わっている
<聚光院>
室中の間の障壁画「花鳥図」16面(国宝)
狩野永徳が24歳のときの作
松・竹・梅におし鶏、丹頂鶴、セキレイなどが描かれた花鳥図
<両足院>
掛軸「雪梅雄鶏図」絹本着色一幅
鶏の絵を得意とする伊藤若冲の「動植栽絵」シリーズに取り掛かる直前の作品とされる
<海宝寺>
方丈の襖絵「群鶏図」
鶏の絵を得意としていた江戸時代の画家 伊藤若冲の最後の作といわれる
<金閣寺>
大書院は、伊藤若冲の障壁画(襖絵)「月夜の芭蕉図」「葡萄図」「鶏図」「松に鶴図」で飾られていた
<光源院>
本堂(方丈)の室中の間の14面の襖絵「十二支の図」14面
禅宗寺院では珍しい十二支が描かれている
本堂南側の枯山水庭園 十二支の庭
<東寺>
小子房(しょうしぼう)の鷲の間・瓜の間・枇杷の間・鷹の間・雛鶏の間などには水墨画が飾られている
<大雲院 祇園閣(登録有形文化財)>
祇園の地にちなんで、祇園祭の山鉾の形をした楼閣で、本堂の西側に建つ
楼閣の最上階には平和の鐘が架けられ、鉾先には金鶏が取り付けられている
<天寧寺>
前庭に鶏のオブジェが置かれている
<祇園祭 函谷鉾>
中国 孟嘗君が、函谷関で家来に鶏の鳴声を真似させて関門を開かせ難を逃れた故事にちなむ鉾
天王座の孟嘗君の下に、雌雄(しゆう)の鶏が祀られている
屋根裏の金地著彩 鶏鴉図(きんじちゃくさい けいあず)(今尾景年の筆)
鉾の前の軒裏には、金地に雄一羽、雌二羽、雛二羽の鶏
後の軒裏には、五羽の鴉(からす)の鶏鴉図がある
前部には、極彩色の鶏で夜明けの鳴き声(陽)と、後部に、墨絵の明鴉(あけがらす)(陰)が描かれており、
夜明け前の函谷関を無事脱出できた故事を表している
下水引「群鶏草花図」には、鶏の様々な姿態が表された鶏の群れと草花の図
<祇園祭 鶏鉾>
中国 堯の時代、天下泰平で使われなくなった訴訟用の太鼓に、鶏が巣を作ったという故事に由来する
ご神体の稚児人形の冠の中央に鶏を載せている
<綾傘鉾>
御神体の木彫漆箔鶏(京都市指定文化財)
傘鉾の鉾頭として用いられている雄鶏の木像
<智恩寺>
和泉式部の歌塚(宮津市指定有形文化財)
和泉式部が書き捨てた和歌を なみだの磯(涙が磯)に埋めて「鶏塚」と称したという
「いつしかと 待ちける人に 一声も 聞かせる鶏の うき別れかな」
<檀王法林寺>
鳥之供養塔
京都食鳥組合を中心に全国の関係者により食鳥鶏卵が供養されてる
<寿宝寺>
鶏霊碑がある
かつて、4月酉の日に鶏霊祭が行われていた
<相場格言>
「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ。戌は笑い、亥固まる、子は繁栄、酉はつまずき、寅は千里を走り、卯は跳ねる」
酉年の相場は、騒がしくなるといわれる
<かしわ>
鶏肉のこと
京都では、単に「お肉」といえば、牛肉のこと
豚肉は「ブタ」、猪肉は「ぼたん肉」、馬肉は「さくら肉」などと分けて称される
<朱雀>
全身が赤く、翼を広げた鳳凰のような姿をしているとされる南方を守護する四神の伝説上の神獣
頭は鶏(ニワトリ)、赤い身体は雉(キジ)、あごは燕(ツバメ)、首は蛇、長く伸びて広がった尾は孔雀
<桃太郎伝説>
桃には魔を退治する力があり、
鬼門と反対方向の申(さる)(西西南)、酉(とり)(西)、戌(いぬ)(西西北)を従者にしたといわれる