寅(とら)虎(Tiger) 京都通メンバ
寅(とら)は、十二支の第3番目

通称:とらどし

前年:丑(うし)
次年:

西暦を12で割って6が余る年

六十干支
  3:丙寅(ひのえとら)
 15:戊寅(つちのえとら)
 27:庚寅(かのえとら)
 39:壬寅(みずのえとら)
 51:甲寅(きのえとら)

陰陽:陽
五行:木
寅の月:旧暦1月
寅の刻:午前4時を中心とする約2時間
寅の方角:東北東よりやや北寄り

 寅(とら)は、十二支の第3番目、動物の虎(とら)とされる

 「漢書」律暦志によると寅は、天に向かってたくましく草木が伸びていく様を表すといわれ「成長」「はじまり」の年とされる

【虎】

 虎(とら)は、食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される動物

 同属のライオン、ヒョウなどともに食肉類の猛獣とされる

 日本には生息していない

 虎の皮は、海外との交易で輸入される唐物の代表とされた
 平安時代初期の延喜式によると、虎皮は、五位以上の貴族しか身に付けることができなとされていた
 病気や祟りから身を守る呪物としても用いられたといわれる

 虎皮を用いた鎧「唐皮」は、平貞盛から平維盛まで9代に渡って継承されたといわれる

 <万葉集
 「虎に乗り 古屋を越えて 青淵に 鮫龍とり来む 剣大刀もが」境部王(さかいべのおおきみ)第16巻3833番歌
 (虎に乗って古屋を飛び越えて、青い水の淵に棲む龍を捕まえられる剣太刀があれば)


 <西方を守護する白虎>
 平安京は、四神相応の地とされ、西方を白虎が守護しているとされる
 白虎が、都の西方に向かう山陰街道に棲んでいるといわれる


 <毘沙門天の使い>
 虎は、仏教の北方を守護する四天王毘沙門天の使いとされる

 飛鳥時代
 聖徳太子が物部守屋を討伐するために河内稲村城へ向かう途中、信貴山に至る
 そこで戦勝の祈願をすると、天空遥かに毘沙門天が出現され、必勝の秘法を授かり、そのご加護で討伐に勝利したといわれる
 毘沙門天は、武神として戦闘の神さんとされ、
 毘沙門天が現れたのが、寅年・寅日・寅の刻だったことから、寅が毘沙門天の御使いとされる

 1月・5月・9月の最初の寅の日は、毘沙門天の縁日とされる


 <寅年の守り本尊>
 虚空蔵菩薩
 丑年と寅年生まれの守り本尊
 はかり知れない智慧と慈悲の心によって守護し、福徳と生きるための知識や集中力を授けるといわれる


【寅・虎・守護神が祀られている神社】

 <下鴨神社
 末社 三言社(中社)(重要文化財)
 祭神:大己貴神(寅・戌年守護神)


 <猿田彦神社
 本殿の前にある八方位を示す八角形の石の八方位文字盤
 決まった方位の文字を順に手のひらを強く当てて祈願すると、願い事がかなうと言われる
 才能:寅→(とらうまいぬ)の順


 <放生院
 十二支守本尊像
 生まれ歳の干支(えと)による、東西南北と北東、北西、南東、南西の八方角に合わせた八体の守り本尊
 丑年・寅年生まれ 虚空蔵菩薩


 <道入寺>
 京都御所 紫宸殿を中心に、十二支の方角に祀られた妙見大菩薩を参拝する洛陽十二支妙見めぐりの一つ
 「妙見さん」と称される妙見大菩薩は、
北極星・北斗七星を神格化した菩薩であり、諸星の王として宇宙万物の運気を司どり支配する菩薩といわれる
 道入寺は、寅・東北東の方向にあり「修学院の妙見さん」と称される


【寅・虎のゆかりの神社・寺院】

 <松尾大社
 白虎の御朱印・白虎おみくじ
 京の西端にある都の守護にちなみ、四神相応における西の守護神 白虎の御朱印・おみくじなどが授与される


 <平野神社
 虎の尾桜(とらのおさくら)
 花は白色で、花梗が短く枝に咲き、枝の立ち縞模様が虎の尾のように見える
 見頃:4月中旬


 <石清水八幡宮
 楼門(国宝)
 極彩色の龍虎の欄間彫刻が、東に虎、西にと施されており、四神相応とは逆になっている
 これは、社殿を修造した徳川家光の生まれが辰年で、徳川家康が虎年生まれで、上位(東)に虎を配置されたといわれる


 <神明神社
 奇怪な声をあげ、頭は、胴体は狸、尻尾は蛇、手足は虎という妖怪を対峙する鵺退治の伝説がある


 <大将軍神社
 頭は、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミのような不気味な声で鳴いたといわれるツグミ科の
鵺(ぬえ)が棲んでいた鵺の森があった


 <鞍馬寺
 本尊 毘沙門天のお使いであるといわれる阿吽の虎の狛が置かれている


 <両足院
 寅年の人の守り本尊とされる毘沙門天堂がある
 虎の狛、香炉にも虎が浮き彫りされている


 <法輪寺
 本堂前にある、狛牛と狛寅の一対の石像
 本尊の虚空蔵菩薩が、丑年・寅年生まれの守護であることにちなむ
 右側に口を開いた阿形(あぎょう)の寅、左側は口を閉じている吽形(うんぎょう)の牛


 <毘沙門堂
 秘仏の本尊 毘沙門天
 商売繁盛・家内安全にご利益があり、一月初寅参りには福笹が授与される


 <西光寺
 寅薬師(とらやくし)(薬師如来像
 弘法大師 空海が一刀三礼し刻んだもの
 寅の日の寅の刻に開眼したといわれ「寅薬師」と称される


【寅・虎ゆかりの絵画】

 <大徳寺
 方丈墨画障壁画83面(重要文化財)
 1641年(皇紀2301)寛永18年の狩野探幽の筆
 内陣に「竜虎図」2面(と虎)


 <檀王法林寺
 龍虎図
 江戸時代後期の越前守を勤めた絵師 岸駒の筆


 <玉鳳院
 方丈の襖絵「麒麟図」「花鳥図」「竜虎図」「山水図」「牡丹図」は狩野安信の筆


 <報恩寺
 後柏原天皇より、下賜された虎の掛け軸「鳴虎図(なきとらず)」
 中国 東北の山岳地帯で、虎が谷川の水を飲んでおり、背後には松が描かれ、2羽のカワサギがとまっている
 毛の一本一本が描かれ、立体的に浮き出ており、右からと左から見るとで姿が違って見える
 豊臣秀吉が気に入り、聚楽第に持ち帰えり床に掛けて観賞していたが、毎夜、吠えて眠れずに、返されたものといわれる
 寅年の正月三が日にのみ特別公開されている


 <神應寺
 書院の杉戸絵「竹虎図」6面(八幡市指定文化財)
 江戸時代狩野山雪の筆


 <聚光院
 竹虎遊猿図6面(国宝)
 「衣鉢の間」(檀那の間の北側)の障壁画で、狩野松栄の作


 <建仁寺
 龍虎図
 江戸時代中期の江戸狩野派の技法で描かれている、加藤文麗の筆
 全体の中心は左右画面にあり、正面は、岸辺の岩石と激変する波濤が描かれ
 右側には、打ち寄せる怒濤の上方に逆巻く雲間に出現した巨龍が描かれる
 左側には、竹林のある岸辺に一頭の猛虎がうずくまる姿を描いている

 龍虎図
 室町時代の秋月等観の筆

 二曲一双 紙本墨画 虎図屏風
 江戸時代岸駒の筆
 周囲を睥睨しながら松の傍らを行き過ぎようとする虎が描かれている


 <光源院
 本堂(方丈)の室中の間の14面の襖絵「十二支の図」14面
 禅宗寺院では珍しい十二支が描かれている

 本堂南側の枯山水庭園 十二支の庭


 <清水寺
 清水寺の七不思議の岸駒の虎
 仁王門(重要文化財)の右下にある灯籠に刻まれている虎の絵
 どの角度から見ても睨みつけられたように目が合う「八方にらみの虎」と称される


 <三玄院
 三玄院客殿障壁画 31面
 江戸時代後期の原派の祖 原在中の筆
 「波に虎図(八方睨みの虎)」14面
  左側の虎図は、中国の南宋末の禅僧画家 牧渓(もっけい)の絵をもとに描かれたといわれる
  どこから見ても睨んでいるように見え「八方睨み」と称される


 <萬福寺
 東方丈の虎渓三笑図8幅(重要文化財)
 池大雅の筆


 <曼殊院
 大玄関の虎の間の襖絵(重要文化財)
 狩野永徳の筆
 虎の胴が長く描かれており、想像で描かれたといわれる


 <金戒光明寺
 大方丈に「虎の間」などがある


 <隣華院
 客殿二の間の「竹虎図」
 禁裏御用絵師として活躍していた狩野永岳(かのうえいがく)の代表作

 客殿の廊下の杉戸に描かれている虎の絵
 描かれた当時、日本には虎が存在せず、ネコが虎の着ぐるみをかぶったような表情になっている


 <龍泉庵
 観音・龍虎図
 狩野探幽の筆


 <勝林寺
 毘沙門堂前堂の左右に描かれている虎の大襖絵
 風に向かって吼える虎は毘沙門天を、睦まじい2頭の虎は吉祥天と善膩師童子を表しているともいわれる
 大正時代の画家 櫟文峰(あららぎぶんぽう)の作


 <天球院
 本堂(重要文化財)
 禅寺には珍しい、金碧画「竹に虎図」20面
 室全体が竹林の中にあるように描かれ、竹の間に親子の虎が戯れている
 狩野山楽狩野山雪父子の作といわれる


 <天龍寺
 多宝殿(たほうでん)の拝堂
 襖に、多くの虎と獅子が描かれている


 <随心院
 奥書院 竹虎図
 江戸時代狩野派の作


 <瑞春院
 掛軸「鍾馗 牡丹 竹に虎」三幅対
 狩野安信の筆


 <勝念寺
 門出八幡宮立像
 顔がやや右を向いていて、甲冑を着け、右手は刀印を結び、左手に弓を持ち、背中と長靴に虎の模様がある
 最澄の作といわれる
 交通安全・家内安全・身体健康・出世開運のご利益があるとされる

【寅・虎ゆかりの庭】

 <南禅寺
 方丈庭園「虎の子渡しの庭」(名勝
 小堀遠州作といわれる


 <龍安寺
 <方丈庭園「龍安寺の石庭」(国の史跡国の特別名勝)>
 「虎の子渡しの庭」「五智五仏(ごちごぶつ)」「七五三の石組み」「心字(しんじ)の象形(しょうけい)」などとも称される
 幅25m、奥行10mほどの敷地に白砂だけを敷き詰めて、15個の石を5か所(5・2・3・2・3個づつ)に
点在させただけのシンプルな庭

 15個の石は、庭をどこから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないようになっているといわれる


 <弘源寺
 本堂正面の嵐山を借景にした座観式枯山水庭園「虎嘯の庭(こしょうのにわ)」
 「虎嘯」とは、「碧巌録九十九則」にある「龍吟雲起、虎嘯風生(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ずる)」という
禅の悟りの境遇を表わす語句から名付けられたもの
 「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌き出る朗々たる響きを表す


 <西本願寺
 <大書院庭園(国の史跡特別名勝
 「虎渓の庭(こけいのにわ)」と称される


 <大雲寺
 伏見城にあったもとといわれる虎石が置かれている


 <東大谷
 親鸞聖人が入滅されたときに涙を流したという、善法坊にあった庭の虎石が置かれている

【その他】

 <相場格言>
 「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ。戌は笑い、亥固まる、子は繁栄、丑はつまずき、寅は千里を走り、卯は跳ねる」
 寅年の相場は「千里を往って千里を還る」という「いってこい」の往来相場で、政治・経済で波乱が起こりやすいといわれる


 <五黄寅(ごおうのとら)>
 九星気学において最強の運勢と言われる「五黄土星」と、十二支の中で最も運勢が強いと言われる「寅年」が重なった年
 36年に1回訪れる
 五黄寅生まれは、非常に強い運勢を持つといわれる
 五黄寅生まれは、とても気が強いといわれ、この年に女の子が産まれることを忌む俗習もある
 1950年(皇紀2610)昭和25年・1986年(皇紀2646)昭和61年・2022年(皇紀2682)令和4年・2058年(皇紀2718)


 <虎拳
 お酒席の余興として行う花街お座敷遊びの一つ


 <十日ゑびす大祭
 1月10日寅の刻に誕生した祭神 えびす神をお祝いして、ご利益にあやかるお祭


 <一休宗純の逸話>
 前将軍 足利義満に「この屏風の絵の虎が毎晩抜け出して困っている。この虎を縛ってはくれないか?」といわれる
 幼少だった一休宗純は、縄を持って屏風の前に立ち
「今から虎を捕らえるので、誰か、屏風の後ろに回って虎を外に追い出して下さい」と言い、足利義満を感心させたといわれる


 <日光東照宮 陽明門を守護する2対の武士座像>
 武士像は、徳川家康の干支である虎の毛皮の上に座っており「家康を尻に敷いている」といわれる
 創建した怪僧 天海明智光秀の生き延びといわれ、武士像は明智光秀の家紋「桔梗紋」を付けている


 <円山応挙
 虎を得意な画題の一つにしていた虎描きの名手
 実物の虎を見ることができなかったため、猫をモデルにして描いたといわれる

 <岸駒
 「岸駒の虎」と称される迫力ある虎の絵を得意としていた名手


 <コンニャク
 寅の日には、こんにゃくを食べるのがよいとされる
 月の末日には、「巳寿司(みずし)・寅蒟蒻(とらこんにゃく)・卯豆腐(うどうふ)」が食べられる


 <鬼門
 北東の方位のことで、丑(うし)と寅(とら)の間の方向で「艮(うしとら)」の方向と称される


【京都検定 第1回3級】

4.平安京の地相は「北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎」といわれているが、現在の北の玄武はどこか?

34.龍安寺について、次のことは正しいかどうか?
(イ)有名な枯山水庭園は、「虎の子渡し」とも称されている

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第9回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第17回3級】

【京都検定 第18回3級】

【京都検定 第21回3級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第11回2級】

【京都検定 第14回2級】

【京都検定 第19回2級】

【京都検定 第23回2級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第11回1級】

【京都検定 第14回1級】

【京都検定 第17回1級】

【京都検定 第19回1級】

【京都検定 第21回1級】

【京都検定 第23回1級】



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