明智戻り岩(あけちもどりいわ)は、亀岡市と大阪府池田を結ぶ国道423号(通称:摂丹街道)の法貴峠の旧道にある大きな岩
明智光秀に係わる2つの伝承がある
能勢方面へ向かう法貴峠の旧道には「明智戻り岩(屏風岩)」などの名前が付けられた大きな岩がいくつもある
明智戻り岩について、明智光秀に係わる2つの伝承がある
<明智光秀の丹波平定>
1575年(皇紀2235)天正3年
織田信長から丹波国の平定を命じられ、山陰道から外れ能勢方面に軍を進めており、この岩まで進軍
兵を休めて、斥候を出して偵察して「この先には討つべき敵はいない」との報告を受けて、山陰道に引き返し、
篠山方面に向かったといわれる
<明智光秀の本能寺の変>
1582年(皇紀2242)天正10年3月6月1日
織田信長から豊臣秀吉の中国攻めの援軍を命ぜられ、軍を従い大阪府池田方面に向かうが、
屏風岩に達したところで急遽「老ノ坂峠を越えて山崎を廻って摂津の地を進軍する」と兵に告げて、山陰道に引き返し、
東に向かわせたといわれる
明智光秀は、老ノ坂峠の手前の篠村八幡宮で軍議を開いて、織田信長を討つことを幹部に告げたといわれる
亀岡市と大阪府池田市を結ぶ国道423号(通称:摂丹街道)の法貴峠の旧道には、名前が付けられた大きな岩がいくつもある
<案内看板>
亀岡市側から能勢方面へ向かう国道423号の右側にある
<屏風岩(明智戻り岩)>
石面に「南無妙法蓮華経」の題目が彫られている
<法華岩>
1454年(皇紀2114)享徳3年に「南無妙法蓮華経南無法主日蓮大聖人」の題目が彫られている
<天狗岩>
<駒繋石>