蹴上の石仏(けあげのせきぶつ)は、蹴上付近の東海道沿いに祀られている石仏
牛若丸が無礼を受けて斬り捨てた9人の武将たちの菩提を弔うために、安置したといわれる9体の石仏
「山城名勝志」第13巻によると、
平安時代末期
1177年(皇紀1837)安元3年
牛若丸(後の源義経)が、金売吉次をお伴にして、兄の源頼朝の元へ、奥州を目指して東海道を下る途中、
道中の安全祈願を日向大神宮で済ませ、九条山の坂にさしかかた時、
馬で坂を下りてきた平家の武士 関原与市重治ら9人の馬が水溜りの水を蹴り上げ牛若丸にかけてしまった
晴れの門出を汚された牛若丸は、馬上の威圧的な武将達に怒りがおさまらず、9人の武将を瞬く間に斬り殺してしまう
後に、愚かな行為を悔やんだ牛若丸が、9人の菩提を弔うために9体の石仏を東海道沿いに安置したといわれる
安置された9体の石仏は、後に移され、確実なことは不明とされる
<義経大日如来(蹴上義経地蔵)>
琵琶湖疏水の蹴上インクライン上ノ船溜り
「義経」の刻名がわずかながら見える
<蹴上地蔵>
山科区日ノ岡夷谷町、東山ドライブウェイ(蹴上口)の近くの東海道沿い
安養寺への鳥居近く
周りにたくさんの地蔵石仏があり、その中の一つが義経が奉ったものといわれる
<地蔵菩薩>
山科区日ノ岡一切経谷町、蹴上地蔵から山科方向への東海道沿い
正面の等身大石仏の足元には、多数の地蔵石仏が並べられている
<地蔵菩薩>
山科区御陵血洗町(京都薬科大学グランド南の児童公園)
<蹴上>
日岡峠を境として粟田口寄りの地名
馬で坂を下りてきた平家の武士 関原与市重治ら9人の馬が、水溜りの水を蹴り上げ牛若丸にかけてしまったことに由来する
<九体町>
日岡峠を境として山科寄りの地名
牛若丸が9人を斬った場所といわれ、後に9体の石仏が安置されたといわれる付近
<血洗町>
東海道で御陵を超えたところの沿線にある町名
牛若丸が9人の武将を斬った後、刀や衣服などに付いた血を洗い流したといわれる池があったといわれる