平安時代初期
小野小町は、絶世の美女といわれ、
六歌仙の一人として、夢でしか会えない人を想い、多くのはなやかで美しい歌を残している
「古今和歌集」にある和歌のイメージから、「いい寄ってくる男性を拒絶する女性」という小野小町像が作り上げられる
小野小町は、仁明天皇の更衣として宮仕えをし、
その後、数多くの求愛にもなびかず、全国各地を渡り歩き、小野の庵(後の随心院)に隠棲したといわれる
「更衣」とは、平安時代の後宮の女官の一つ
女御(にようご)に次いで、天皇の衣替をつかさどり、天皇の御寝にも奉仕した
「百夜通い伝説」として、いくつかの具体的な話が残されている
「深草少将」については、「小野小町に対する思いが深い男性」ということから「深草少将」という人物が創作されたといわれる
小野小町に想いを寄せる深草少将が、求愛をしたところ、「百夜、通い続けたら晴れて契りを結ぶ」との約束をされた
深草少将は、深草から小野小町の住む小野の里まで約5kmを毎晩通い続けていた
(伝説1)
小野小町は、深草少将が毎日運んできた榧の実で深草少将の通った日を数えていた
99日目の雪の日
深草少将は、99個目の榧の実を手にしたまま死んでしまう
小野小町は、深草少将の供養のため、99個の榧の実を小野の里にまいたという
(伝説2)
深草少将は、99日まで通い、100日目の最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまう
(伝説3)
小野小町は、深草少将が毎日運んできた99本の芍薬(しゃくやく)を植え続けてきた
100日目の夜
秋雨が降り続く中、途中の森子川にかかった柴で編まれた橋で、100本目の芍薬を持った深草少将が橋ごと流されてしまう
小野小町は、月夜に船を漕ぎ出し、深草少将の遺骸を探し、岩屋堂の麓にあった向野寺に安置して、
芍薬1本1本に99首の歌を詠じ、「法実経の花」と称した
その後、小野小町は、岩屋堂に住み、香をたきながら自像をきざみ、92才で亡くなった
(伝説4)
深草少将の死後、小野小町は、深草少将の怨霊に取り憑かれて物狂いになり、乞食の老女となった
<伝説の舞台>
小野小町が住んでいた庵(後の随心院)は、深草から百夜通いする距離に適した小野にある寺
小町寺は、比叡山によって管理された共同墓地の寺で、小野小町や深草少将の幽霊が出没するという話に適していた
<はねず踊り>
随心院
毎年3月最終日曜日
薄紅色のことを「はねず色」といい、随心院の紅梅も「はねず」と称されていた
小野小町は、毎年「はねず」の咲く頃に里の子たちの家々を訪ねて、門内の庭で踊っていたことに由来し、
深草少将の百夜通いの非恋伝説をテーマに、小野小町に扮した少女達が舞う
南北朝時代
百夜通い伝説が謡曲「卒都婆小町」「通小町」として謡われる
<謡曲「通小町(かよいこまち)」>
市原野の補陀洛寺に、夜な夜な、どこからともなく木の実を持った女性が現れていた
ある夜、僧侶が名前を尋ねると、女性は「小野とは言はじ… 」と言い残して消えてしまった
僧侶は、その女性は、小野小町の幽霊だと確信して成仏を祈祷しようとすると
そこへ、すごい血相で成仏祈願を邪魔する者が現れた
僧侶は、深草少将だろうと思い、「百夜通」のことを尋ねると、男は、小野小町の元へと通った様子を語り始めた
そして、僧侶は、小野小町、深草少将の幽霊を共に成仏させる
<小町榧(こまちがや)>
善願寺の樹齢1000年を超える榧(かや)の神木
小野小町が、深草少将の百夜通いのときに巻いた99個の榧の実のひとつが育ったものといわれる
生の立木に不動明王像が彫られている
世界三大美人の小野小町にあやかり、この榧の実を持っていると美男美女になるといわれ、
この榧の実が入ったお守りが授与される