「鵺退治(ぬえたいじ)の伝説」は、源頼政による妖怪、怪鳥を2度退治したという伝説
平家物語の巻四に記述されている
いずれも、「東三条の森から暗雲とともに御所へとやってきた」とされ、その森を「鵺の森(ぬえのもり)」と称される
現在の、大将軍神社の境内にあたる
鵺(ぬえ)は、ツグミの一種のトラツグミで、広葉樹に住みつくといわれる
夜に「ヒョーヒョー」と鳴くといわれる
<一度目>
平安時代後期
仁平年間(1151年〜1154年)
近衛天皇が、ひどくうなされる夜が続いていたある日の丑の刻
警護の者が、「ヒョーヒョー」と変な音を聞き、東三条の森から黒雲がわき出て、清涼殿の上を覆い尽くす光景を目撃する
近衛天皇は、源頼政に、その原因をつかみ退散させるように命じる
源頼政は、神明神社に大願成就の祈願を行い、清涼殿を覆う黒雲の中で動く影に向かって、「南無八幡大菩薩」と念じ矢を放つと、
奇怪な声をあげ、頭は猿、胴体は狸、尻尾は蛇、手足は虎という妖怪が庭先に落ちてきたといわれる
その鳴き声が鵺に似ていたことから「鵺退治」といわれる
<二度目>
応保年間(1161年〜1162年)
二条天皇をおびえさせた怪鳥を退治したといわれる
室町時代
源頼政の鵺退治の伝説をもとに能「鵺」が生まれる
江戸時代
浄瑠璃、歌舞伎の題材にもなる
<鵺大明神(ぬえだいみょうじん)>
二条児童公園の北側
地図情報
小さな祠と、赤い鳥居と鵺池碑が建っている
鵺大明神の傍らに、鵺を退治した時に、血の付いた矢尻を洗った池があったといわれる
元禄年間(1688年〜1704年)には京都所司代下屋敷があった場所
明治維新で屋敷は取り壊され、監獄が建設された
監獄が山科に移転したときに、池の形跡が出土した
<神明神社>
四条烏丸の南東、東洞院綾小路東入
地図情報
源頼政が、鵺退治成就のお礼に、洗ったあとの矢尻が奉納されたといわれる
近衛天皇が、しばしば皇居された藤原忠通の屋敷跡で「四条内裏」と称されたところで、
屋敷内にあった鎮守社が、神明神社の由来
明治維新以前は、天台宗
近衛天皇を悩ました鵺を退治した源頼政は、恩賞として御剣「獅子王(ししおう)」と丹波の領地を賜わる
獅子王は、明治天皇へと献上され、現在は東京国立博物館に収蔵されている
領地は、現在の亀岡市の地で、鵺退治にちなんで「矢代荘(やしろのしょう)」と称され、後に「矢田荘」と称されるようになる