「小野篁の冥土通い」の故事では、
平安時代初期、宮廷官吏の小野篁(おののたかむら)が、毎晩、六道珍皇寺の井戸から冥土(あの世)へ通い、
閻魔大王(えんまだいおう)の補佐官として働いていたといわれる
今昔物語などによると、
小野篁は、亡くなった母に会うために冥土に通い始めたといわれる
閻魔大王の補佐として、無実の罪で地獄へ落ちた人を救ったり、閻魔大王の裁きの助言をしたりしていたといわれる
「今昔物語集」によると、
小野篁が学生時代に罪を犯したとき、藤原良相(ふじわらよしみ)が弁護をしてくれたという
後、藤原良相が、重病で死去し、閻魔王庁で罪を定められようとしたとき、閻魔大王のそばに小野篁がいて、
「この人は、正直で良い人なので許してあげて欲しい」と言い、藤原良相は生き返ったという
藤原良相は、朝廷で、小野篁に会い、閻魔王庁でのことを礼を言うと、
「昔、私の弁護をしてくださったお礼をしただけ」と言われたという
大江匡房(おおえまさふさ)の「江談抄(ごうだんしょう)」によると、
藤原高藤(ふじわらたかふじ)が突然、気を失い気がついたときに
「閻魔王庁へ行ったが、そこには、第二の冥官として小野篁が座っていた」と話したといわれる
冥土への入口といわれる井戸
六道珍皇寺の本堂脇の庭の奥
六道珍皇寺の閻魔堂には、小野篁の作といわれる閻魔大王と、小野篁の木像が並んで安置されている
この付近は「六道の辻」と称される、現世とあの世との境界といわれる
冥土からの出口は、嵯峨にあった福生寺(ふくしょうじ)の井戸だったといわれる
清凉寺の西門近くの薬師寺(旧福生寺)の脇に「生の六道」の石柱が立っている