「備後国風土記」逸文によると
八坂神社の祭神 素戔嗚尊(牛頭天王)が南海に赴く途中に日が暮れて宿を探していたとき、
貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)と、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)がいて、
巨旦将来は、素戔嗚尊の宿泊を拒み、
蘇民将来は、粗末ながらも、ひえの食事とわらの布団で、素戔嗚尊を温かくもてなした
後日、疫病が流行り多くの死者が出たときに、素戔嗚尊が、八柱の御子を連れて再び来訪し、
先般のお礼として、今後、蘇民将来の子孫を疫病から守ることを約束され、
その目印に、腰に蘇民将来の子孫であることを記した茅の輪をつけさせたといわれる
<祇園祭の粽(ちまき)>
厄除けのお守りとされる「蘇民将来之子孫也」と護符の付いた「ちまき」が、祇園祭の宵山の期間にだけ授けられ、
一年間、玄関先に飾られる
飾り粽で食べられない
上賀茂の農家において、藁(わら)を軸にして、クマザサの葉をい草で三角形に巻き、それを10本ずつ束にして木型で形を整えられる
<八坂神社の境内摂社 疫神社>
祭神:蘇民将来
ご利益:厄払い
かつては、八坂神社の西楼門外にあり、西楼門内北に移され、明治以降現在は、西楼門内の正面にある
<疫神社夏越祭>
7月31日午前10時から、1ヶ月にわたる祇園祭の最後の祭事として行われる
鳥居に大茅輪が設けられ、そこをくぐって厄気を祓う