宗旦狐(そうたんぎつね)は、江戸時代初期に相国寺の境内に住んでいた1匹の白狐
千利休の孫 千宗旦が、相国寺において茶会を開いたときに、その狐が千宗旦に化けて、見事なお点前を見せたといわれる
時には、雲水にまじって座禅を組んだり、和尚と囲碁を打つなどして、人々の前に姿を現し、
近くの茶人の邸宅へ赴いては、茶を飲み、菓子を食い荒らしていたといわれる
<相国寺塔頭 慈照院の茶室 頤神室(いしんしつ)>
慈照院の茶室開きが行われたとき、宗旦狐が千宗旦に化けて見事なお点前を披露していた
そこに、本物の千宗旦が遅れてやってきて、感嘆したといわれる
宗旦狐は、慌てて茶室の窓を突き破って逃げ出していったため、頤神室の窓は、普通の茶室の窓より大きくなってしまったといわれる
<門前の豆腐屋>
宗旦狐が、破産寸前だった門前の豆腐屋のやり繰りを手伝い、蓮の葉を多くさん集めて来て、
それを売ってお金に換え大豆を買い破産から救い、繁盛させたといわれる
豆腐屋は、狐の大好物である鼠の天婦羅を作ってやったが、
宗旦狐は、それを食べると神通力が失われるといって遠慮したといわれる
<宗旦稲荷社>
相国寺の境内にある祠
人々は、宗旦狐にわざと化かされて遊んでいたといわれ、
雲水らにより宗旦稲荷社として祀られ、
門前の豆腐屋や近所の店を繁盛させたことから、開運の神様として信仰を集めたといわれる