酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国の大江山または丹波国と山城国の国境の大枝山(老ノ坂峠)に住んでいたとされる鬼
平安時代、龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にして京都付近で暴れ回ったといわれる
源頼光と、その四天王らによって、神便鬼毒酒を飲まされ退治されたといわれる
平安時代の京都付近で暴れ回ったといわれる、日本史上で最強の鬼とされる
日本三大悪妖怪の一つとされる
棲み家
丹波国と丹後国の境にある大江山の主峰 千丈ヶ嶽
あるいは、丹波国と山城国の境の大江山(大枝山)の老ノ坂峠に棲んでいたともいわれる
身長2丈(約6m)、角が5本、目が15個あるといわれる
頭と胴が赤、左足は黒、右手は黄色、右足が白、左手が青といわれる
(体の色は、五行思想の影響によるものといわれる)
出生
八岐大蛇が、素戔嗚尊との戦いに敗れて、出雲国から近江へと逃げ、そこで富豪の娘との間に生まれた子供ともいわれる
手下の者
副首領の茨木童子
四天王として、熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子
その他、数多くの鬼達を従えていたといわれる
<大江山絵巻>
平安時代中期
正暦年間(990年〜995年)の頃
都では、貴族の若君や姫君が失踪する事件が相次いでいた
朝廷が、安倍晴明に占わせると、京の西北にある大江山の鬼の仕業であることが判明し、
貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、生のまま喰ったりしているという
藤原道長の命により、源頼光、その四天王の渡辺綱(わたなべのつな)・坂田金時・
卜部季武(うらべのすえたけ)・碓井貞光(うすいのさだみつ)と藤原保昌(ふじわらのやすまさ)の6人が退治に向う
大江山に向かう途中に一行は、老人・山伏・老いた僧・若い僧のグループの旅人に遭遇する
彼らから、「酒呑童子には大勢の部下がいる、武士姿で正面から挑んでも近づくことは難しいので山伏に化けなさい」と助言され、
「神便鬼毒酒」と「兜」を与えられる
彼らは、源頼光らが出発前に石清水八幡宮、日吉大社、住吉大社、熊野大社に祈願しており、
そこに祀られていた神の化身であったといわれる
一行は、鬼の命令で洗濯をさせられている貴族の娘に出会い、彼女の案内で酒呑童子が棲む「鉄の御所」に到着する
山伏姿をした源頼光らは、「都で評判の酒です、これで一夜の宿を」と神便鬼毒を捧げる
酒好きな酒呑童子は、部下たちと酔っ払い、自らの生い立ちを語りだす
「俺は、越後の生まれで山寺に入れられ、稚児として育てられたが、そこの法師と争って刺し殺してしまい比叡山へ移り住んだ。
そこに、伝教大師(最澄)という僧が現れ、俺を追い払ったのでやむなくこの大江山に移ってきた
しかし、今度は弘法大師(空海)という僧が登ってきて俺を封じ込めた。
が、今は、そういう強い法力を持った者がいないので、なに不自由なく暮らしている。
しかし、最近、京に源頼光という武勇日本一の大悪人がいて、その四天王と藤原保昌とともに我々を討とうとしているという噂を聞き、
京に近づけないでいる」と話す
そして、渡辺綱が舞を披露して「年を経て、鬼の岩屋に春の来て、風や誘いて花を散らさん」などと歌う
そのうちに、神便鬼毒酒が効き始め、鬼たちは眠りに落ちていく
源頼光らが武者姿に戻ると、神の化身たちが再び現れ、
「よくぞここまで来た。我々が鬼の手足を鎖で四方の柱へ縛りつけてやろう。源頼光は酒呑の首をとり、
他の物は残りの鬼を斬り捨てよ」と告げた
酒呑童子は目を覚ますが、神便鬼毒が効いて動けず
「情けなしよと客僧たち、いつわりなしと聞きつるに、鬼神に横道なきものを
(客僧たちよ、お前たちの言葉を信じたのに、我々は卑怯なことなどしなかったのに)」と訴える
酒呑童子の斬り飛ばされた首は、一度、源頼光に襲いかかってくるが、神の化身に与えられた兜により防がれた
源頼光らが、討ち取った酒呑童子の首を京へ持ち帰えろうとしたが、老ノ坂峠の地蔵菩薩に
「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、その首がその場から動かなくなってしまったため、その地に首を埋葬したといわれる
<首塚大明神>
老ノ坂峠にある
酒呑童子が、死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、
大明神として祀られたともいわれる
首から上の病気にご利益があるといわれる
<鬼岳稲荷山神社>
大江山にある
酒呑童子が、大江山の山中に埋められたともいわれる
<成相寺>
神便鬼毒酒に用いたとされる酒徳利と杯が所蔵されている
<日本の鬼の交流博物館>
大江町(現在は福知山市)
1993年(皇紀2653)平成5年4月
大江町により、大江山の山麓にあった廃鉱となった銅鉱山跡に作られた
<逸翁美術館(大阪府池田市)>
「大江山酒天童子絵巻(重要文化財)」が所蔵されている
<歌舞伎「大江山酒呑童子」>
萩原雪夫が、十七代目 中村勘三郎のために書き下ろした長唄の舞踊劇
1963年(皇紀2623)昭和38年6月に歌舞伎座で初演される
<能「大江山」>
五番目物の鬼退治物
<日本三大悪妖怪>
日本史上で最強の鬼とされる酒呑童子
玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐
恨みによって大天狗と化した崇徳天皇
<童子斬り安綱(国宝)>
源頼光が酒呑童子を斬ったとされる太刀
安綱は、平安時代末期における伯耆国の名工で、銘が残る最も古い刀工の一つ
室町時代以来、足利将軍家が所有していたが、十三代 足利義輝のときに織田信長の手にわたり、豊臣秀吉を経て、徳川家康に移る
徳川二代将軍 徳川秀忠は、結城秀康の子 結城忠直に娘を嫁がせるときに、引き出物として持たせる
その後、作州津山松平家によって伝えられた
刀剣鑑定の本阿弥家による名物帳(1719年(皇紀2379)享保4年の作)には
「松平越後守殿 童子切安綱 長さ二尺六寸六分(約81cm)不知代(だいしらず)。丹州大江山に住す通力自在之山賊を、
源頼光公此太刀にて討し故と申伝候」と記されている
現在は、東京国立博物館に収蔵されている