<丹の湖>
亀岡盆地は、赤土の泥湖であったといわれ「丹の湖」と称され、
風が吹くと湖に丹色(朱色)の波が立ったといわれ、国名「丹波国」の由来となったといわれる
亀岡盆地(丹波湖)からの、水の流れの出口は、保津川(桂川の保津峡を経て京都市へ流れるのみとなっている
丹波湖があった頃は、保津峡の幅は現在よりもさらに狭く、現在の水面より80mほど高い所を流れていたといわれる
保津峡の岩盤の80m程の位置から、太古のプランクトンの化石が多数見つかっていることで証明されている
現在も、保津峡が堰き止められれば、湖に戻る地形になっているといわれる
日本の国造りを行っていた大己貴命(大国主命の別名)が、丹波湖を一望できる山頂に立たれ、
この地方を治めていた八柱の神々を、丹波国の南部の樫田村の黒柄岳に集めて、
「この山々を切り開き、湖水を山背(現在の京都市)へ流して、豊かな新しい国を造ろう」と相談された
丹波国の南東部(現在は大阪府高槻市)の明神ヶ岳あたりで、樫の船を造り、
保津峡入口の左岸のあたりで鍬入れを行い、開拓を始め、
保津峡を開き、溜まっていた水を山城へ流し出して、
餅籠神社(もちかごじんじゃ)の地から、籠で土砂を運び、豊かな農地に変えたといわれる
天岡山の麓には、渓谷を切り拓いたときに使われた鍬(くわ)が山積みとなったといわれ、
保津峡入口の右岸のあたりには、大山咋神が開削に使った鋤と短剣が納められたといわれる
丹波国や日本の国土を造られ、国を治められていた大国主命と、その妻神 三穂津姫命は、
丹波国一の宮(現在の出雲大神宮)に祀られ、
その後、天照大御神の天孫邇邇芸命との国譲りにより、出雲大神宮から島根 出雲大社に遷られ祀られるようになる
保津川(ほづがわ)の名前は、三穂津姫命(みほづひめのみこと)にちなむといわれる
<徳神社(東別院町神原宮ノ前)>
亀岡市の南部の東別院町神原の谷間の集落にある神社
祭神:大山祇命(大山咋神)
大己貴命が、この地を治めていた八柱を集めて、開拓の相談が行われた地といわれる
<樫船神社(大阪府高槻市田能)>
丹波国南部の明神ヶ岳の尾根の下の方の標高約360mのところにある神社
祭神:大国主命と樫船明神
ここで、開削を行ったときに湖に浮かべた樫の舟が作られたといわれる
<請田神社(保津町字立岩)>
保津峡入口の左岸にあり、桑田神社と保津川を挟んで向きあう
祭神:大山咋神・市杵島姫命
ここで、鍬入れが行われ開拓工事を請け負った(うけた)地とされる
式内社とされる
<餅籠神社(もちかごじんじゃ) (所在不明)>
ここから、籠で土砂を運び、豊かな農地に変えたといわれる
持籠神社(かごもちじんじゃ)とも称される
<桑田神社(篠町山本北絛)>
保津峡入口の右岸を走るJR山陰本線(嵯峨野線)の奥にある
祭神:大山咋神
式内社
開削を始めた地とされ、大山咋神が開削に使った鋤と短剣が納められ祀ったとされる
<鍬山神社(上矢田町上垣内)>
市街地南部の高槻街道の入口にある
祭神:大己貴命(大国主命)と誉田別尊
式内社
開削に使った鍬が山積みにされた地(鍬山)とされる
<大井神社(大井町並河)>
市街地西北部のJR山陰本線(嵯峨野線)並河駅と保津川の間にある
祭神:月読命・市杵島姫命・木俣命(キノマタノミコト)
式内社
丹波湖の水が乾き残って「大いなる井戸(大井)」となったといわれる、境内に「丹の池」が残っている
<出雲大神宮(千歳町千歳出雲)>
北東部にある丹波国一の宮で「元出雲」と称される
祭神:開削をした大国主命と、その妻神 三穂津姫命を祀る
式内社名神大社、丹波国一ノ宮
天照大御神の天孫邇邇芸命との国譲りにより、大国主命は、ここから島根 出雲大社に遷られ祀られるようになった