久多花笠踊(くたはながさおどり)は、左京区久多の産土さん 志古淵神社に歌と踊を奉納する行事
室町時代から続く素朴な風流燈籠踊
午後8時頃から花笠を持った男衆たちが、念仏風の文句を唱え、太鼓と音頭取りの歌に合せて、花笠をゆすって踊る
久多花笠踊は、京都市左京区の北端に位置する久多地区に室町時代から伝承されている芸能
5月5日
志古淵神社に五穀豊穣を祈願して午まつり(うままつり)が行われる
8月24日の夜
五穀豊穣に感謝して、志古淵神社に、風流(ふりゅう)の灯籠踊(とうろうおどり)が奉納される
<花笠>
8月14日にお盆行事の施餓鬼を終えてから、地元の男性たちによって花笠づくりが行われる
左京区久多の五つの集落(上の町・中の町・下の町・宮の町・川合町)が、上の組と下の組の二組に分かれ、
各地区で「花宿(はなやど)」と称する花笠つくりをする家が定められ、
それぞれに意匠を凝らした花笠が手作りで製作される
かつては各家に一つ、約200種類あったといわれるが、現在は5ヶ所の花宿で作られた10数基が奉納される
花笠は、六角形の笠の上に、蝋燭をともす四角の行灯をのせ、笠の四隅には意匠を凝らした透かしが貼られ、
色とりどりの精巧な造花が飾られる
造花は、あやめ・朝顔・ダリヤ・バラなどで、和紙で作られる
菊の花だけは、「ハシマメ」と称される植物の茎の芯を用いて作られる
<久多花笠踊>
8月24日の直近の日曜日の夜
男性たちが、それぞれの花宿に集まり、花笠を持って行灯に火をともして、上の宮神社へ向かう
上の宮神社では、宮座の「神殿(こうどの)」と称される者が、花笠を社殿に供え祝詞(のりと)をあげたあと、花笠踊を奉納する
次に、大川神社に移動して、同様に踊りを行なう
志古淵神社では、社殿に花笠を供えた後、拝殿前において花笠に清めの秡いをする「より棒」と称される者が棒を打ち合い、
その後、久多花笠踊が奉納される
花笠踊りは、締太鼓のみで、中世に流行した室町小歌にあわせ、花笠を手に持って、
上と下の二組が交互に掛け合う形で踊る
かつては、少年が花笠を頭にのせて踊ったといわれている
踊りの曲目は、「道行」「綾の踊り」「唐船」など、現在では十数曲が伝承されている
地元に伝わる花笠踊本には、130番ほどの歌詞が残されている
久多は、京都市左京区の北端に位置し、豊かな自然が残る
安曇川の支流の久多川と宮谷川に沿ってできた里で、五つの集落(上の町・中の町・下の町・宮の町・川合町)からなる
標高約800〜900mの山々に囲まれており、冬は寒さがきびしく、夏は涼しい
平安時代からひらけ、江戸時代には、近江朽木藩の領土となる
1949年(皇紀2609)昭和24年
京都市左京区に編入される