左女牛井之跡(さめがいのあと)は、平安時代からの京の三名水「佐女牛井」の井戸の跡
堀川通に面して、五条通から下ったところの歩道脇に石碑が立っている
源頼義がこの地に築いた源氏六条堀川邸内の井戸であったといわれる
源氏六条堀川邸は、源義経が京を逃れた後、焼き払われた
わび茶の祖 村田珠光が将軍 足利義政に献茶したときに、佐女牛井の水を用いたといわれ、
千利休などの茶人に愛用されたといわれる
<佐女牛井>
平安時代、六条大路の南の佐女牛小路(さめうじこうじ)(現在の花屋町通)があった
湧水があり、京の三名水の一つとされた
「さめうじこうじ」から「さめうじい」が「さめぐい」「さめがい」に転訛したといわれる
「醒ヶ井(さめがい)とも記された
<石碑 左女牛井之跡>
建立年:1969年(皇紀2629)昭和44年
建立者:醒泉小学校創立百周年紀念事業委員会
大きさ:高さ166 x 幅24 x 奥行24cm
碑文:
(東側)左女牛井之跡
(南側)昭和四十四年九月建之
(西側)醒泉小学校創立百周年紀念事業委員会
(北側)源義経堀川御所用水と伝えられ足利時代既に名あり元和二年在銘の井戸枠とも
第二次世界大戦に際し昭和二十年疏開の為撤去さる当学醒泉の名は之に由来する
井筒雅風 記
佐女牛井にちなむ町名・通り名が残っている
<佐女牛井町(さめがいちょう)>
<泉水町(せんすいちょう)>
<醒ヶ井通(さめがいとおり)>