柳の水(やなぎのみず)は、西洞院通三条通を下った柳水町にある名水
現在、地下25mからポンプでくみ上げられ、柔らかい水が味わえる
<柳の水の碑>
建立年:2001年(皇紀2661)平成13年
建立者:馬場孝造(馬場染工業)
寸法:高さ65 × 幅76 x 奥行14cm
碑文(東側)
この柳水町あたりの地は、平安時代末期には崇徳院の御所があった所で、
「今鏡」に「崇徳永治元年新院十二月」九日ぞ三条西ノ洞院へ
渡らせ給ふ、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。
また、近世初期には、織田信長の子、信雄の屋敷になっていたようで、
「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、
斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳の水、千利休専賞此水点茶、故茶人無不汲之」
此水至って清冷なり、千利休此水を沸してもっぱら茶の水とす。
町名は、寛永十四年(一六三七)洛中絵図に「柳水町」とみえ、その後、変化はない。
なおこの邸跡は紀州徳川氏の京都屋敷となった。
二〇〇一年三月吉日 施主 馬場孝造
<西洞院川>
かつて西洞院通の四条通より南に西洞院川が流れていて、付近には名水が湧いた
その後、川は暗渠化されている
西洞院川沿いには、紺屋・染屋が建ち並び、京染めの水に用いられていた
染めに使う水は、微量の鉄分が含まれていることが重要で、多すぎると酸化し赤く染まってしまう
柳の水の鉄分量は最適であるといわれる
<茶人珠光・織田信雄・加藤清正・紀州藩邸古蹟>
3mほど北の同じ敷地内に古蹟を示す石碑が立っている
茶道の祖 村田珠光の住居跡地
織田信長の二男 織田信雄の屋敷跡地
武将 加藤清正の京邸跡地
徳川御三家 紀州和歌山藩邸跡地