高倉天皇 後清閑寺陵(たかくらてんのう のちのせいかんじのみささぎ) 京都通メンバ
平安時代末期の第80代 高倉天皇の御陵

所在地:京都市東山区清閑寺歌ノ中山町   名所地図情報名所

天皇:平安時代末期の第79代 高倉天皇

御陵:後清閑寺陵(のちのせいかんじのみささぎ)

生年:1161年(皇紀1821)応保元年9月3日
崩御:1181年(皇紀1841)治承5年1月14日
宝算:21

陵形:方丘

別称:高倉院法華堂、清閑寺法華堂

陵印保管場所:月輪陵墓監区事務所

 高倉天皇 後清閑寺陵(たかくらてんのう のちのせいかんじのみささぎ)は、平安時代末期の第80代 高倉天皇の御陵


 東山区の南部の清閑寺境内だったところで、清閑寺の北の山腹にあり、さらに上段には六條天皇清閑寺陵が隣接している

【高倉天皇 後清閑寺陵の歴史・経緯】



【高倉天皇 後清閑寺陵】

 <高倉天皇 後清閑寺陵>
 清閑寺の北にある
 東山ドライブウェイから、石階段がある  さらに右奥 上段には、六條天皇清閑寺陵がある

 御陵は、南面しており方形の土塀に囲まれている
 南中央に唐門がある

 方丘で、間口20m、奥行15m
 中央西寄りに墳丘の石積み土壇(一辺約5m、高さ約0.5m)が築かれている
 かつての法華堂基壇の一部といわれる

 <小督局供養塔>
 小督局(こごうのつぼね)は、桜町中納言 藤原成範(ふじわらなりのり)の娘
 宮中の中でも美人で、高倉天皇の寵愛を受け、範子内親王(坊門院)を生む
 石造の小宝篋印塔1基が立てられており、後世に供養塔として立てられたといわれる

【高倉天皇 後清閑寺陵へのアクセス】

 京阪バス 清閑寺山ノ内町 北へ約200m
   国道1号から東山ドライブウェイ(無料)へ入ったところにある

 清水寺の奥の道からも徒歩で行ける

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