高倉天皇 後清閑寺陵(たかくらてんのう のちのせいかんじのみささぎ)は、平安時代末期の第80代 高倉天皇の御陵
東山区の南部の清閑寺境内だったところで、清閑寺の北の山腹にあり、さらに上段には六條天皇清閑寺陵が隣接している
<高倉天皇 後清閑寺陵>
清閑寺の北にある
東山ドライブウェイから、石階段がある
さらに右奥 上段には、六條天皇清閑寺陵がある
御陵は、南面しており方形の土塀に囲まれている
南中央に唐門がある
方丘で、間口20m、奥行15m
中央西寄りに墳丘の石積み土壇(一辺約5m、高さ約0.5m)が築かれている
かつての法華堂基壇の一部といわれる
<小督局供養塔>
小督局(こごうのつぼね)は、桜町中納言 藤原成範(ふじわらなりのり)の娘
宮中の中でも美人で、高倉天皇の寵愛を受け、範子内親王(坊門院)を生む
石造の小宝篋印塔1基が立てられており、後世に供養塔として立てられたといわれる