後花園天皇火葬塚(ごはなぞのてんのうかそうづか)は、西陣の堀川通鞍馬口通を下った堀川通に面してある
大應寺の北隣にある
火葬塚も陵墓に準じるものとされる
皇室の香華院である泉涌寺が、応仁の乱により焼失しており、この地にあった悲田院で葬礼・火葬が行われた
御骨は、常照皇寺の光厳天皇陵の傍にある後山国陵に遷され埋骨される
火葬地は土で封じられ山茶花が植栽された
空堀が残っている
<陵墓>
常照皇寺の光厳天皇陵の傍にある後山国陵
<分骨所>
般舟院陵(上京区)に宝篋印塔が建てられている