後白河天皇法住寺陵は、三十三間堂の東、法住寺の北(東)にある御陵
この地は、後白河上皇が、二条天皇・六条天皇・高倉天皇・安徳天皇・後鳥羽天皇の5代に渡って院政を行った、
法住寺を中心とした院政御所「法住寺殿」があったところ
平氏打倒をくわだてた鹿ヶ谷の密議が発覚して、平清盛により幽閉されるが、木曾義仲の上洛により復活
源頼朝に偏ったことで、木曾義仲により、法住寺の焼き討ちにあう
源頼朝を利用し、木曾義仲を討伐をさせて、六条御所「長講堂」で院政を再開させた
<法華堂>
法体姿(ほったいすがた)の後白河法皇像が安置されている
<手水>