賀陽宮墓地(かやのみやぼち)・久邇宮墓地(くにのみやぼち)は、泉涌寺の南東にある宮墓地
江戸時代末期から明治時代の皇族7人が葬られている
守脩親王墓・淑子内親王墓・朝彦親王墓と向かい合わせにある
久邇宮の初代 朝彦親王の第2王子と第5王子の、賀陽宮邦憲王と久邇宮多嘉王と、それぞれの王妃、
幼くして亡くなった久邇宮多嘉王の子供たち3名が葬られている
7つの円墳がある
手前の円墳が王や王妃で、奥にある3つの円墳が子供たちの円墳
それぞれ鳥居、柵が設けられている
<賀陽宮邦憲王(かやのみやくにのりおう)>
生没年:1867年(皇紀2527)慶応3年〜1909年(皇紀2569)明治42年
久邇宮朝彦親王の第二王子
後伏見天皇20世皇孫
兄が幼少時に薨去していたが、病弱であったため弟の邦彦王に継承権を譲る
父が薨去に伴い、邦彦王が久邇宮家を継承、邦憲王は明治天皇の勅許を得て「賀陽宮」の称号を賜る
伊勢神宮祭主を務める
1900年(皇紀2560)明治33年、賀陽宮家を創設する
<賀陽宮妃好子(かやのみやひよしこ)>
生没年:1865年(皇紀2525)慶応元年〜1941年(皇紀2601)昭和16年
賀陽宮邦憲王妃
父親 醍醐忠順の娘で、醍醐好子
<久邇宮家多嘉王(かやのみやけたかおう)>
生没年:1875年(皇紀2535)明治8年〜1937年(皇紀2597)昭和12年
父親:久邇宮朝彦親王
後伏見天皇20世皇孫
兄 邦彦王が久邇宮を継承し、多嘉王は西久邇宮を創設することになっていたが、されなかった
<久邇宮家妃静子(かやのみやけしずこ)>
生没年:1884年(皇紀2544)明治17年〜1959年(皇紀2619)昭和34年
多嘉王妃
父親 水無瀬忠輔の娘で、水無瀬静子
23歳で、多嘉王と結婚し、3男3女をもうけた
<久邇宮家発子女王(かやのみやけはつこじょうおう)>
生没年:1911年(皇紀2571)明治44年〜1915年(皇紀2575)大正4年
父親:多嘉王、母親:王妃水無瀬静子
<久邇宮家賀彦王(かやのみやけよしひこおう)>
生没年:1912年(皇紀2572)明治45年〜1918年(皇紀2578)大正7年
父親:多嘉王、母親:王妃水無瀬静子
後伏見天皇21世皇孫
<久邇宮家光子女王(かやのみやけみつこじょうおう)>
生没年:1913年(皇紀2573)大正2年〜1918年(皇紀2578)大正7年
父親:多嘉王、母親:王妃水無瀬静子