仁和寺宮墓地(にんなじのみやのぼち)は、仁和寺の門跡などの12人の皇族墓地
JR嵯峨野線 花園駅の北、法金剛院背後の五位山の中腹にある
参道を同じくして北側には、鳥羽天皇皇后 璋子 花園西陵が隣接している
法金剛院背後の五位山の中腹にあり、現在の雙ヶ岡・妙心寺・龍安寺一帯が仁和寺の領地だった
北側の市道からの参道は、鳥羽天皇皇后 璋子 花園西陵と同じで隣接している
一段下には、仁和寺の住職墓地がある
<仁和寺宮墓地>
11墓1塔
仁和寺宮墓地には、桃山時代から明治時代の仁和寺の門跡などの12人の皇族が祀られている
それぞれの御墓には、円墳の上に宝篋印塔が立てられている
仁和寺21世 覚深法親王墓
後陽成天皇第1皇子
生年:1588年(皇紀2248)天正16年
薨去:1648年(皇紀2308)正保5年
仁和寺22世 性承親王墓
後水尾天皇第7皇子
生年:1637年(皇紀2297)寛永14年
薨去:1678年(皇紀2338)延宝6年
仁和寺23世 寛隆法親王墓
霊元天皇第2皇子
生年:1672年(皇紀2332)寛文12年
薨去:1707年(皇紀2367)宝永4年
仁和寺24世 守恕法親王墓
霊元天皇皇孫(霊元天皇第七皇子 京極宮 文仁親王の第2王子)
生年:1706年(皇紀2366)宝永3年
薨去:1729年(皇紀2389)享保14年
仁和寺25世 慈仁法親王墓
中御門天皇第4皇子
生年:1723年(皇紀2383)享保8年
薨去:1735年(皇紀2395)享保20年
仁和寺26世 遵仁法親王墓
中御門天皇皇子第6皇子
生年:1736年(皇紀2396)享保21年
薨去:1747年(皇紀2407)延享4年
仁和寺27世 覚仁法親王墓
霊元天皇皇孫(霊元天皇第16皇子 有栖川職仁親王の第3王子)
生年:1732年(皇紀2392)享保17年
薨去:1754年(皇紀2414)宝暦4年
仁和寺28世 深仁法親王墓
東山天皇皇曽孫(東山天皇第6皇子 閑院宮 直仁親王の第3王子 閑院宮 典仁親王の第2王子)
生年:1759年(皇紀2419)宝暦9年
薨去:1807年(皇紀2467)文化4年
仁和寺29世 済仁法親王墓
霊元天皇曽孫(霊元天皇第16皇子 有栖川宮 職仁親王の第7王子 有栖川宮 織仁親王の第5王子)
生年:1797年(皇紀2457)寛政9年
薨去:1847年(皇紀2507)弘化4年
鏗宮墓
東山天皇皇曽孫(東山天皇第6皇子 閑院宮 直仁親王の第3王子 閑院宮 典仁親王の第9王子)
父親の閑院宮第2代当主 典仁親王は、明治時代に明治天皇の高祖父として追諡され「慶光天皇」と称される
生年:1776年(皇紀2436)安永5年
薨去:1777年(皇紀2437)安永6年
喜久宮墓
東山天皇皇玄孫(東山天皇第1皇女 秋子内親王と伏見宮 貞建親王との第2王子 伏見宮 邦頼親王の第1王子 伏見宮 貞敬親王の
第1王子 伏見宮 邦家親王の第7王子)
生年:1842年(皇紀2502)天保13年
薨去:1851年(皇紀2511)嘉永4年
仁和寺34世 彰仁法親王髪塔
東山天皇皇玄孫(伏見宮第20代当主 伏見宮 邦家親王の第8王子)
「仁和寺宮嘉彰親王」「小松宮小松宮彰仁親王」とも称した
生年:1846年(皇紀2506)弘化3年
薨去:1903年(皇紀2563)明治36年