入道塚陵墓参考地(にゅうどうつかりょうぼさんこうち)(入道塚古墳)は、淳和天皇の皇子 常貞親王(つねさだしんのう)の
陵墓と推定される参考地
有栖川に面した北嵯峨高校の正門手前の石垣に沿って西に入ったところにある
古墳時代後期の、一辺が約25m・約30mの方墳
石室の石塊がむき出しになっている
かつて、田畑の整地のために取り除こうとしたところ、大入道が現われたために祀られるようになったといわれる
「入道」とは、大覚寺の開山 恒寂法親王(常貞親王)のことといわれる
大覚寺の東南の台地にある、古墳時代後期の4つの古墳
嵯峨野を支配した豪族の墓といわれるが、詳細は不明
1975年(皇紀2635)昭和50年
発掘調査が行われ、新羅焼の陶質土器の破片が見つかっている
<1号墳>
円山古墳
円墳(直径約50m、高さ約10m)
陵墓参考地
<2号墳>
入道塚古墳
方墳(南北約25m・東西約30m)
陵墓参考地
<3号墳>
南天塚古墳
墳形は不明(南北約8m・東西約13m)
北嵯峨高校の建設により喪失する
<4号墳>
狐塚古墳
円墳(直径約28m・高さ約4.5m)