聖護院宮墓地(しょうごいんのみやぼち) 京都通メンバ
所在地:京都市左京区北白川丸山町   名所地図情報名所

 聖護院宮墓地(しょうごいんのみやぼち)は、北白川の地、北白川天神宮の東北の丘陵地にある御墓

 6人の聖護院宮の親王などの御墓があり、無縫塔が立てられている

 南には、智成親王墓がある

 この地から北西の北白川地蔵谷町に、もう一つの聖護院宮墓地の2カ所に分かれてある

【聖護院宮の歴史・経緯】




【御墓がある聖護院宮の親王など】

 <道承法親王(どうしょうほうしんのう)>
 聖護院33世門主
 1695年(皇紀2355)元禄8年生まれ、父親 伏見宮邦永親王
 1702年(皇紀2362)元禄15年 東山天皇の養子になり、聖護院に入寺する
 1703年(皇紀2363)元禄16年 親王宣下を受ける
 1709年(皇紀2369)宝永6年 園城寺長吏115世、熊野三山検校、新熊野検校を兼ねる
 1714年(皇紀2374)正徳4年 薨去される


 <増賞入道親王(ぞうしょう にゅうどうしんのう)>
 聖護院34世門主
 1734年(皇紀2394)享保19年 父親 職仁親王(よりひとしんのう)の第4王子として生まれる
 桜町天皇の養子になる
 1746年(皇紀2406)延享3年 親王宣下を受け、実相院に入寺する
 1752年(皇紀2412)宝暦2年 聖護院に移る
 園城寺長吏116世、護持僧などを務めた
 1770年(皇紀2430)明和7年 薨去される


 <中誉親王(ちゅうよしんのう)>
 聖護院35世門主
 1722年(皇紀2382)享保7年 父親 中御門天皇、母親 掌侍園常子のもとに生まれる
 1732年(皇紀2392)享保17年 親王宣下を受け、聖護院に入寺する
 聖護院門跡、園城寺長吏などを務めた
 准三后
 1788年(皇紀2448)天明8年 薨去される


 <盈仁法親王(えいにんほうしんのう)>
 聖護院36世門主
 1764年(皇紀2424)明和元年 父親 閑院宮典仁親王(慶光院)の第7王子として生まれる
 後桃園天皇の養子になる
 聖護院門跡の中誉親王の子弟になる
 聖護院門跡、園城寺長吏119世などを務めた
 一品、准三宮
 1831年(皇紀2491)天保2年 薨去される


 <万寿宮(ますのみや)>
 1820年(皇紀2480)文政3年 父親 伏見宮 貞敬親王(さだよししんのう)のもとに生まれる
 1831年(皇紀2491)天保2年 薨去される


 <嘉言親王(よしひとしんのう)>
 聖護院37世門主
 1821年(皇紀2481)文政4年 父親 伏見宮邦家親王の第2王子として生まれる、母親 藤木壽子
 光格天皇の養子となり、盈仁親王の附弟となる
 親王宣下を受け、聖護院に入寺する
 三井寺長吏、一身阿闍梨、園城寺長吏121世などを務めた
 1868年(皇紀2528)明治元年
 明治維新により還俗し「聖護院宮」の宮号を称した
 内国事務総督、海軍総督などを務めた
 同年 薨去される

【アクセス】

 市バス 北白川仕伏町下車 徒歩約5分  叡山電車 元田中駅 徒歩約20分

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