松(まつ)は、針のような葉と、松かさ(松ぼっくり)と称される実がなる針葉樹
温度の適性が広く赤道から北極圏まで北半球に分布する
樹木の樹形は、環境に左右され、御神木など信仰の対象や、防風林など生活にも深く関わる
<赤松(あかまつ)>
マツ科マツ属、2枚葉
高木で樹高50mほどになる
幹に亀甲状に縦の割れ目ができ鱗状に剥がれ、樹皮は、赤みの強い褐色
<黒松(くろまつ)>
マツ科マツ属、2枚葉
防風・防潮林や庭木としても、よく植栽もされている
アカマツと比較して、幹の樹皮が黒褐色
<琉球松(りゅうきゅうまつ)>
マツ科マツ属、2枚葉
樹冠が傘型になり横に大きな枝を出し、樹高は最大25mほど
<五葉松(ごようまつ)>
マツ科マツ属、5枚葉
成長が遅く、植栽されたものは樹高10mまでしか成長しないため、庭園などで植栽される
<姫小松(ひめこまつ)>
マツ科マツ属、5枚葉
ゴヨウマツの高山に生育しているもので、樹高は20mほどに生育する
<唐松(からまつ)>
マツ科カラマツ属、落葉針葉樹、葉は多数
針葉樹の中では唯一の落葉樹で「落葉松(らくようしょう)」とも称せられる
<善峯寺>
遊龍松(天然記念物)
樹齢600年以上といわれる五葉松
高さ2mほど全長37m、境内に長大な枝を伸ばし、臥龍が遊ぶように見える
京都三松の一つ
<宝泉院>
近江富士を型どる樹齢700年の五葉松(京都市指定天然記念物)
京都三松の一つ
<金閣寺>
陸舟の松(りくしゅうのまつ)
足利義満遺愛の盆栽を移して帆掛けて舟の形に仕立てたものといわれる五葉松
樹齢は約600年
京都三松の一つ
<愛宕念仏寺>
三宝の松
<一乗寺下り松>
下り松
平安時代からの古い街道で、北は白鳥越えで、東は今道越えで、比叡山を経て近江国へ通じる分岐になっている
旅人の街道の目印として、この松が植え継がれてきた
初代下り松の下では、剣客 宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したといわれる
現在、四代目となる下り松が植樹された
<雨宝院>
時雨の松(京都市指定保存樹)
本堂前の歓喜桜の横に立つ赤松
久邇宮朝彦親王(くにのみやともひこしんのう)が、雨宝院へ参拝されたときに、この松の下でにわか雨をしのがれたといわれる
<永観堂>
三鈷松
御影堂の横に立つ、葉先が3つに分かれている永観堂七不思議の松
「三鈷」は、「智慧」「慈悲」「真心」を表す
この松の葉を持っていると3つの福を授かるといわれる
<北野天満宮>
影向松(ようごうのまつ)
表参道の大鳥居をくぐってすぐ右手に石の玉垣をめぐらせた一本木
立冬から立春の間に初雪が降ると祭神が降臨し歌を詠むといわれる
末社 一夜松社(いちやまつしゃ)
北野天満宮の創建のときに、一夜にして千本の松を生じさせたという「一夜千松の神霊」が祀られている
<北向山不動院>
鳥羽上皇遺愛の松
<北山別院>
大正天皇御手植えの松
<京都御苑>
桜松(サクラマツ)
学習院発祥の地に、黒松の木に落ちた、ヤマザクラの種が芽を出して生育したサクラマツがある
黒松の樹齢は約100年、ヤマザクラは樹齢約40年と推定される
<玉鳳院>
五葉松と黒松の大樹
玉鳳院庭園(国の史跡、名勝)の南庭に生育している
<華光寺>
時雨松(しぐれのまつ)の古株
豊臣秀吉手植えの松といわれる
晴れの日も枝からしずくを落としたといわれ、出水七不思議の一つとされる
枯死してしまって、子孫の松が育成している
<光照院>
常磐の五葉松
門跡のお手植えで、樹齢五百年といわれる
<光清寺>
五葉松
<金戒光明寺>
直実鎧掛けの松(京都市指定保存樹)
熊谷次郎直実が出家をするときに、鎧を洗いそれを掛けたといわれる松の樹
元の松は枯れ、それを引き継いだ二代目の樹
<金蔵寺>
影向松
<最勝院>
縁結びの松
百日紅の木の又に、松の種が芽生えて大きくなったといわれ、百日紅の木と一体化している松
松の樹齢約100年、百日紅の樹齢約300年
<酒解神社>
旗立松
山崎の戦いのときに、秀吉軍が自軍の士気を高めるために、天王山の老松の樹の上高くに千成瓢箪の旗印を掲げた
現在は7代目のが生育している
<信楽街道 松峠>
松峠には、かつて3本の松の木があり「三本松峠」と称されていた
<下鴨神社>
媛小松(ひめこまつ)
賀茂祭、御蔭祭のときに奉納される日本最古の歌舞「東游」の二段目「求め子」で、鴨の社のひめ小松として登場する
「ちはやぶる 鴨の社のひめこ松 よろずよふとも 色はかわらじ」(藤原敏行:古今和歌集)
<寂光院>
千年姫小松(御神木)
本堂前の汀の池のそばに汀の桜と寄り添うように立っていた五葉松
<乗願院>
昇竜の松
池の畔にあり、水辺から昇天する龍の形に似ていることから名付けられた
<寿延寺>
物見の松
十禅師の森の十禅師社の近くにあった大木
源義経(牛若丸)が、父親 源義朝の13回忌供養のために、平家の侍の千人斬りを祈願し、
十禅師の森に潜み、松の大木に登って周囲を探っていたといわれる
<将軍塚大日堂>
後継の松
大隈重信が植樹したお手植えの松の木
現在の松は4代目
東郷元帥手植松
東郷平八郎が植樹したお手植えの松の木
一念松
「人の一念岩をも通す」のように岩から生えている松の木
<称念寺>
老松
還誉上人が愛猫を偲んで植えた松
枝が横に20mも伸び、猫が伏したさまに似ているといわれる
<白峯神宮>
三葉之松(さんようのまつ)
豊饒と平安をもたらす神霊が、松を伝って地上に降臨するといわれる
三葉の松は、「夫婦和楽・家内安全」を象徴しているといわれる
松葉は、黄金色になって落葉し、身につけると「金運」のご利益があるといわれる
<水火天満宮>
菅公影向松(かんこうようごうまつ)
菅原道真が来現したといわれる松
<大心院>
五葉松
樹齢350年から400年の古木が2株ある
<大蓮寺>
大王松(だいおうしょう)(京都市保存樹)
本堂を荘厳するように立つ推定樹齢100年ぐらい松の木
5〜6月頃に全葉が生え替わる珍しい樹
<藤森神社>
「白松(はくしょう)」「白皮松」「白骨松」とも称される
中国では、宮殿などに植えられる非常に貴ばれる木
陸軍第十六師団団長が、就任記念として寄進されたもの
<伏見稲荷大社>
奇妙大明神(根上り松・膝松さん)
根が左右に浮き出ていて、股のようになっている松の木を祀る
根上りが「値上がり」に転じて投資家などから崇敬を受けている
「膝松さん」とも称されていて、根を下からくぐると膝腰や神経痛の平癒にご利益があるといわれる
大松社
大松大神を祀る
<宝厳院>
破岩の松
獅子吼の庭(ししくのにわ)に、天に向かって真っすぐ生えて、根が巨岩を真二つに割って立っている
<本隆寺>
夜泣止松
母親を慕って泣く赤ん坊を日諦上人が抱いて、この松の樹を廻ると夜泣きが止まった故事に由来する
夜泣止松の葉を枕の下に置くと、夜泣きが止むといわれる
<松尾大社>
相生の松(あいおいのまつ)
樹齢350年ほどで、雄雌根が同じ樹で、恋愛成就・夫婦和合の樹とされていた
<曼殊院>
書院庭園(国の名勝)
鶴島の五葉松は、鶴を表し、樹齢400年といわれる
<妙覚寺>
法姿園 中庭の五葉松と、赤松、ヒバの3本の樹
五葉松は、樹齢100年ほど
<妙心寺>
四派の松
三門と仏殿の間の竹垣に囲まれて植えられている4本の松
妙心寺派の全ての寺院が属する4つの宗派を象徴している
本坊庭園
松の疏林が植えられており、三門の北の「四派の松」と呼応している
<三嶋神社>
相生の松(あいおいのまつ)
2本の松の枝が1本につながった間に祀られていたため、良縁や家内安全のご利益があるともいわれる
<天橋立>
日本三景の一つ
日本海に張り出して、長さ約3.6kmにわたり約7,000本の松林が続く砂州と、それを展望する傘松公園がある
<天橋立ビューランド>
股のぞき
文珠山の展望台に後ろ向きに立ち、前かがみになり、自分の股の間から天橋立を眺める
天地転倒の逆転効果により、松並木が空中に浮かんだような錯覚で「天の釣り船とも天にかける橋」とも称される
<宴の松原>
平安時代初期
松林があったといわれる平安京 内裏の西側、豊楽院の北の地域
<大本 天恩郷>
亀山城跡の広大な境内に無数の松が育成されている
<御香宮神社>
貴賓館庭園
伏見城の残石により滝組・石橋・石組などが置かれ、五葉松・椿などの植栽もある
<最勝院>
庭園
大隈重信・東郷元帥・乃木大将・菊池大麓などの「お手植えの松」がある
<三宝院>
三宝院庭園(国の特別史跡、特別名勝)
亀島は、島全体を、樹齢600年以上といわれる姫子松が亀の甲羅のように島全体を覆っている
鶴島は、亀島の西隣にあり、五葉松が立っている
<大光明寺>
峨眉山の庭
白砂が広がり、石、刈り込みの老松、緑の苔、白い塀からなる枯山水庭園
<地蔵院>
十六羅漢の庭(京都市登録名勝)
椿、胡蝶侘助の老木、五葉松、千両、万両などが植えられている枯山水庭園
<修学院離宮>
各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる
<寿延寺>
十禅師の森(十禅の森)
明治時代まであった松の森
松原橋の南東、松原通に面し、北御門町から西御門町の間にあったといわれる
松原通の名前の由来でもある
<成就院>
「月の庭」(国の名勝)
書院の縁先から眺める借景式庭園、本来は池泉回遊式庭園
五葉松・侘助椿などが植栽されている
<真珠庵>
姿が立派な五葉松と黒松を囲む白砂も美しい方丈南庭
<せせらぎの道>
川端通の松並木に沿う散歩道
<大寧軒>
藪内家第11代家元 透月斎竹窓紹智により作庭された茶庭
松、楓、半夏生などが植栽されている
<天授庵>
書院南庭
杉や常緑の松と紅葉の名所
<東海庵>
書院西庭「東海一連の庭」(国の史跡、名勝)
庭の北に神仙蓬莱の築山が築かれており、北側から瀛州島・方丈島・蓬莱島の3島とされる
それぞれの島に三本の松が植えられている
<徳禅寺>
方丈庭園
石組、五葉松の植栽、鶴島、亀島が置かれている
<納所>
松並木「淀堤の千両松」
豊臣秀吉により、伏見城周辺の整備のため、宇治川沿いに納所まで堤防を造り松並木が造られる
<深泥池>
冬に冠水しないやや高い部分に赤松(アカマツ)、ネジキなどの樹木が繁茂している
<明王院 不動寺>
平安時代この一帯は、うっそうとした松林の丘だったといわれる
<山国神社>
御杣御料地(みそまごりょうち)
平安遷都のときの大内裏の造営のための、杉・檜・松などの材木を提供する御杣御料地として定められた
<霊雲院>
方丈南庭は、全面が苔で覆われ、東側に赤松、西側に樹齢300年といわれる五葉松が植えられている
松は、常緑樹で枯れない、朽ち落ちないないことから長寿の象徴として、城や武家の屋敷の障壁画に、よく描かれる
<二条城>
二の丸御殿(国宝)
「松図」:式台:狩野探幽・狩野山楽の筆
「松孔雀図」:一の間、二の間:狩野探幽
「松図」:三の間:狩野探幽
「松図」:四の間:狩野山楽
「松鷹図」:四の間:狩野山楽
<今宮神社御旅所>
能舞台鏡板(かがみいた)
松と、右手には竹が描かれている
法眼 吉田元陳の筆
<大本 天恩郷>
能舞台 鏡板(かがみいた)の「松図」
亀山城跡に建つ礼拝殿「万祥殿(ばんしょうでん)」の殿内の能舞台
<聚光院>
「花鳥図」16面(国宝)
松・竹・梅におし鶏、丹頂鶴、セキレイなどが描かれている
狩野永徳が24歳のときの筆
<金地院>
絹本着色 「秋景山水図」(国宝)>
斜めの松の枝と幹に横たわり、天空を舞う鶴の行方を見つめる人物が描かれている
中国 北宋8代皇帝 徽宗皇帝(きそうこうてい)の筆といわれる水墨淡彩の風景画
<永観堂>
方丈(釈迦堂)の襖絵「松鳥図」
<圓徳院>
下間(げかん)の間の襖絵「松竹梅図」
赤松燎の遺作となった襖絵「白龍」を弟子 木下育應が、引き継いで制作したもの
<京都観世会館>
能舞台 鏡板(かがみいた)の「松図」
大木には神が宿ると信じられていて舞台の守護とされる
堂本印象の筆
<桂春院>
紙本墨画「松山水図」8面
方丈(京都府指定文化財)西の間の老松に滝根笹の襖絵
狩野山雪による水墨画
<金地院>
紙本墨画 「老松図」6面
方丈の小書院の襖絵で、太い松の幹が描かれている
長谷川等伯の筆
<春光院>
書院障壁画「松図」
土方稲嶺(ひじかたとうれい)の筆
<青蓮院>
宸殿障壁画「浜松図」(襖12面、戸襖4面、壁3面の17面)(重要文化財)
大玄関襖絵「日月松桜百鶴図」
黒田正夕の筆
<瑞春院>
書院襖絵「古松」
鈴木松年の筆
<大覚寺>
金碧画「松に山鳥図」
式台玄関の「松の間」の東側襖4面に描かれている
松の左右には楓が1本ずつあり、これが東西両側にも連続し、巨大な老松を主軸とする統一的構図法となっている
狩野永徳の筆
正寝殿の「松鷹図」
狩野山楽の筆
<大雄院>
「雅松図」13面
客殿 書院の間(雅松図の間)、部屋の西側壁右下部に「令哉(れいさい)」の落款がある
江戸時代末期から明治初期の漆芸家・蒔絵師の柴田是真(しばたぜしん)の筆
<知恩院>
大方丈(重要文化財)松の間の金碧障壁画
狩野派の筆
<智積院>
大書院障壁画「松に立葵図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」など
長谷川等伯・長男の長谷川久蔵の筆
<天球院>
紙本金地著色「松図」(重要文化財)>
方丈の旧仏壇壁貼付
方丈の仏壇の間に「老松図・唐獅子図」15面
<天授庵>
紙本墨画 「松鶴図」8面(下間二之間)
<西本願寺>
「松鶴図」
大書院対面所(国宝)の下段の間の障壁画
渡辺了慶の筆
<仁和寺>
白書院の3室の襖絵はすべて松が描かれている
1937年(皇紀2597)昭和12年の福永晴帆の作
<東本願寺>
紙本金地墨画「稚松図」16面
茶室「桜下亭(おうかてい)」松之間
円山応挙の筆
<報恩寺>
「鳴虎図(なきとらず)」
後柏原天皇より、下賜された虎の掛け軸
中国 東北の山岳地帯で、虎が谷川の水を飲んでおり、背後には松が描かれ、2羽のカワサギがとまっている
<法然院>
方丈の襖絵十四面(重要文化財)
「若松図」「桐に竹図」「槇に海棠図」など
狩野光信の筆
方丈の屏風「雪松図」(重要文化財)
<妙顕寺>
「松竹梅図」3幅
妙顕寺の檀信徒であった尾形光琳の現存する唯一の絵とされる
<妙蓮寺>
長谷川等伯一派の筆
紙本金地著色 松桜図 一之間 襖貼付8・天袋貼付4(重要文化財)
紙本金地著色 松桜図 二之間 襖貼付8(重要文化財)
紙本金地著色 松杉桜図 脇一之間 襖貼付6(重要文化財)
紙本金地著色 松桜図 玄関之間 襖貼付12(重要文化財)
<要法寺>
通称:松の寺、教学の山
境内に多くの松の木が植えられ、後に「松の寺」と称されるようになる
<隣華院>
客殿二の間の「松図」18面
狩野永岳の筆
<霊雲院>
書院(重要文化財)奥の間御座所の三方壁に、二羽の鶴・紅白梅・若松の障壁画が描かれる
昭和時代の日本画家 黒光茂樹の筆
<良正院>
本堂中央の松の間の金地著色「松図」
狩野三益(かのうさんえき)の筆
<円山応挙>
「雪松図屏風」(国宝)
左右隻に描かれた松が、それぞれ前後の立体感をもって描かれ、三次元的な空間が構築されている
三井記念美術館の所蔵
<長谷川等伯>
紙本墨画「松林図屏風」 六曲一双(国宝)
東京国立博物館の所蔵
<松材(マツ材)>
強度や耐久性に優れており、木造建築の梁・桁などの横架材、骨組みや壁材、フローリングなどに用いられる
材質が柔らかく、加工がしやすく、彫刻や工芸品の素材、テーブルや椅子などの家具に用いられる
傷やへこみができやすく、変形もしやすい
熱伝導率が低く、京都の暑い夏や厳しい冬でも京町家で過ごしやすい
木の香りが強く、リラックス効果にも優れている
節が多く木肌の模様が楽しめ、油分が多いため経年変化によって艶っぽい色合いになり、
数寄屋造の書院や茶室などで、そのままで柱としても用いられる
<紅殻>
酸化鉄の赤色天然顔料で、柿渋や松煙などと溶いて町家の京格子などに塗る塗料
松煙(しょうえん)は、松などを不完全燃焼させて作った煤(すす)で、黒色顔料として用いられる
<勝念寺>
閻魔法王自作霊像
摂津国清澄寺の慈心房尊恵が、閻魔庁の法会に招かれたとき、閻魔法王が、
人々が「善因善果 悪因悪果 自因自果」の因果の道理を信じず、悪いことをして地獄へと落ちていくことを深く憂い、
世の中に示すために閻魔法王自らが松の木の枝に自刻したものといわれる
<知恩院>
唐門(重要文化財)
桃山時代に流行した故事に基づく、牡丹唐草、鯉魚に乗る老人、巻物を持ち鶴に乗る老人、松を配した細かな彫刻が施されている
法然上人御廟(京都府指定文化財)
周囲には唐門のある玉垣がめぐらされており、
「松に鶴」「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「桜に鳥」「牡丹に鳳凰」など桃山様式の華麗な彫刻が施されている
<金地院>
茶室「八窓席(はっそうのせき)」(重要文化財)
貴人座、赤松皮付の床柱に黒塗框という取り合わせなど、小堀遠州が好んだ三畳台目の典型的な茶室
手前座に、椿の中柱を立てて、松の床柱との間に袖壁をつけて下地窓をつけ、勝手窓を大きくとって席を明るくしている
<今日庵>
八畳の席「咄々斎(とつとつさい)」
床は、8代 又玄斎一燈宗室の手植えの五葉松の古材が用いられている
天井は、五葉松の古材を長板の寸法に切り、組み違いに張った格天井で、「一崩しの天井」と称される
<「松風(まつかぜ)」>
松林にうちつける風のこと
文芸においては、うら寂しい川辺・海岸の情景を表す
また、「待つ(まつ)」にかけても用いられた
<周恩来(中華人民共和国 初代総理)>
「雨中二次遊嵐山、両岸蒼松、挟着幾株櫻。」
(雨の中を二度、嵐山を訪れた、両岸の青き松に、数株の桜がまじっている)
帰国を前に嵐山を訪れたときに作られた
<清水寺>
「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶこころは 涼しかるらん」(御詠歌)
<後水尾法皇>
「霞みゆく 松は夜ふかき 山端(やまばた)の あけぼのいそぐ 花の色かな」
閑臥庵で「あけぼの桜」をお手植えされたときに謡われた
これにちなんで寺号を「曙寺」とされたといわれる
<慈円僧正(じえんそうじょう)(平安時代末期の天台宗の僧)>
「わが恋は 松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原に 風さわぐなり」(新古今和歌集)
この歌により円山公園が和歌の名所となり、多くの歌にうたわれるようになる
<寂光院>
御神木とされる千年姫小松を謡った歌
「池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる 中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色」(「平家物語」大原御幸)
「ひめ小松 一千年のおん姿 歴史の重さ今につたえん」(寂光院32世院主 滝澤智明)
<知恩院>
「草も木も 枯れたる野辺に ただ一人 松のみ残る 弥陀の本願」(御詠歌)
<藤原定家>
「忍ばれむ物ともなしに 小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」
小倉山の中腹にある常寂光寺は、この歌にちなんで「軒端寺(のきばじ)」と称される
<藤原敏行>
「ちはやぶる 鴨の社のひめこ松 よろずよふとも 色はかわらじ」(古今和歌集)
下鴨神社の媛小松(ひめこまつ)を詠んだもの
<本願寺11世 顕如>
「わすれては 波のおとかとおもうなり 枕に近き 庭の松風」
本願寺が、織田信長の弾圧を受けていたとき、兵糧として亀屋陸奥の菓子を味わいながら詠んだといわれる
西本願寺の御用茶菓子「松風」の名前の由来となる
<吉井勇>
「瓢亭の 朝がゆすすり 松に吹く 風の音聞けば 心すがしも」
南禅寺付近にある瓢亭の、京料理の粋とされる朝粥を食べて詠んだもの
<一乗寺下り松>
都から比叡山や近江国へ至る交通の要所で、旅人の目印として植え継がれてきた「下り松」が立っている
下り松の下で、江戸時代初期の剣客 宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したといわれる
<七本松通>
平安京:皇嘉門大路
「京町鑑」によると、この通りにあった森に、一株が七本に分れたる松があったといわれる
また、一夜にして七本の松が生えたからともいわれる
<松原通>
平安京:五条大路
綺麗な松並木の通りだったことから「五条松原通」と称されるようになり、後に「松原通」となる
松は、他の木材と比べ可燃性の樹脂を多く含み、松明や焚き付けなどに用いられる
松脂(まつやに)は、松の樹脂を抽出したもので、よく燃える燃料として用いられる
<居籠祭(京都府無形文化財)>
時期:毎年正月 初申の日より3日間
2日目の夜、重さ100kg程の大松明が、約2km離れた祭場に担がれて運ばれる
神職が鈴を鳴らし、村中が消灯し一切の物音を謹慎される
<嵯峨お松明式>>
日時:3月15日 午後8時
清凉寺で、釈迦入滅の日(3月15日)に行われる、釈迦涅槃を荼毘にふす様子を表した涅槃会
護摩壇と松明のまわりを、提燈行列のお練りが3周する
3本の大松明に火が付けられ、その火の勢で、その年の農作物の豊凶を占う
京都三大火祭の一つ
<祇園祭>
期間:7月1日〜31日
山鉾には、真松(しんまつ)が立てられる
山鉾に立てられた刀や松の木は、依り代(よりしろ)となり素戔男尊が宿り、その御霊の力で災いを祓うとされる
太子山だけは、松の木ではなく、杉の木が用いられる
日本三大火祭の一つ
<花背の松上げ>
期日:8月15日 午後9時(約40分ほど)
洛北の山村である花背地区に伝わる愛宕信仰による神事で火除けと五穀豊穣が祈願される
河原に、立てられた約1,000本の松明に一斉に点火され、鉦や太鼓を合図に、
中央に立てられた、高さ20mの檜丸太の先端に大笠を取り付けた灯籠木(とろぎ)に向かって、
腰にさげた上げ松(松明)に火を付けて、投げ上げて、大笠への点火が競われる
<五山の送り火>
日時:8月16日 20時
盂蘭盆会(うらぼんえ)の精霊を冥府へと送るかがり火で、京都の夏の風物詩にもなっている
5つの山に、松明で大きな文字や図柄が灯される
京都三大火祭の一つ
<雲ヶ畑松上げ>
日程:8月24日 20時頃
北区雲ヶ畑地区で行われる献火行事
その年にちなむ漢字1文字が、櫓(やぐら)に組まれた松の割り木の松明で灯される
<鞍馬の火祭>
期日:10月16日〜23日
由岐神社で行われる京都三大奇祭の一つ
10月22日の夜には、5mほどの無数の松明が、「サイレィ、サイリョウ」の掛け声で担がれ練り歩く
<松風>
西本願寺の御用茶菓子
小麦粉を練って麦芽糖と白味噌をまぜて焼いたもの
本願寺11世 顕如が、織田信長の弾圧を受けていたとき、兵量食として亀屋陸奥の菓子を味わいながら、
「わすれては 波のおとかとおもうなり 枕に近き 庭の松風」と詠んだことで、「松風」と名付けられたといわれる
<歳寒三友(さいかんさんゆう)>
冬の寒さにも耐えて松と竹は緑を保ち、梅は花を咲かせるので、慶事・おめでたいものの象徴とされる
松竹梅を3つ揃えて、祝い事の飾りや、立花などに用いられる
<三等級>
食事や品物や席などを3つの等級に分けたとき、松・竹・梅の順番で称される
<清酒「松竹梅(しょうちくばい)」>
伏見の蔵元 宝酒造株式会社の日本酒
1920年(皇紀2580)大正9年「つねに人々のよろこびの酒でありたい」との願いを込めて命名される
<地歌筝曲「松竹梅(しょうちくばい)」>
三役物で、三味線手事の最高の曲といわれる
歌詞には、松に鶴、竹に月、梅に鶯の縁起物があしらわれた慶賀吉祥の曲
三橋勾当(みつはしこうとう)の作曲