琵琶湖疏水工事殉難者碑(びわこそすいこうじじゅんなんしゃのひ)は、蹴上疏水公園にある、琵琶湖疏水工事の殉職者の慰霊碑
琵琶湖疏水を主導した田邊朔郎により私費で建立された
蹴上疏水公園にある、琵琶湖疏水工事の殉職者17名の慰霊碑
1890年(皇紀2550)明治23年4月24日
この碑に記された殉職者17名の追悼法会が行われた
1902年(皇紀2562)明治35年5月18日
田邊朔郎氏が自費で琵琶湖疏水工事殉難者碑を建立し、竣工式が行われる
1919年(皇紀2579)大正8年
市制施行、第一疏水開通三十年式典のときに、田邊朔郎氏から京都市へ寄贈された
高さ203cm x 幅140cm x 奥行29cm
<碑文 南側>
一身殉事 萬戸霑恩
(一身 事に殉じ 萬戸 恩に霑ほふ)
(碑文 東側に記されている詩人 谷鉄臣の作といわれる)
<碑文 北側>
工夫頭 山野治平 火夫 大川米蔵 工夫 福岡浪蔵
工夫 久保時蔵 工夫 米山泰一郎 仝 山田幾次郎
仝 中川久次郎 仝 大槻市蔵 仝 斎藤寅吉
仝 吉木栄吉 仝 砂子三五郎 仝 宮崎徳松
仝 藤井重介 仝 下郡忠治
右自明治十八年至廿三年工事中重傷至死
京都府六等属 土岐長寛 京都府七等属 内藤義次
仝 九等技手 服部 晋
右工事中罹病而死
琵琶湖疏水工事主任工学博士田辺朔郎建之
<碑文 東側>
従四位谷鉄臣題表
正八位巌本範治記并書
<琵琶湖疏水工事殉職者碑>
同じく蹴上疏水公園にある慰霊碑
琵琶湖疏水を管掌していた京都市電気局により建立される