平等院多宝塔跡 (びょうどういん たほうとうあと)は、平等院に多く建てられていた堂塔の一つの跡
現在の平等院境内の東、宇治市観光センターの南の京都府立宇治公園の中に、
当時と同じ場所に、多宝塔基壇が、鳳凰堂の基壇を参考に復元されている
平安時代後期
当時の平等院境内に、多くの堂塔が建てられていた
1061年(皇紀1721)康平4年
鳳凰堂建立から8年後
多宝塔が、関白 藤原頼通の長女 四条宮 藤原寛子により建立された
同年に、多宝塔の完成供養が行われている
裳階(初層)がなく「多宝塔」ではなく単層の宝塔といわれる
1994年(皇紀2654)平成6年
宇治市教育委員会の創建時の全体像を解明するための平等院旧境内の発掘調査により発見された
創建当時と同じ場所に、多宝塔基壇が、鳳凰堂の基壇を参考に復元されている
日本で最も古い宝塔跡とされる