京都の大仏(だいぶつ)は、豊臣秀吉が方広寺大仏殿に建立した大仏
高さ六丈三尺(約19m)の木製金漆塗坐像で、奈良東大寺の大仏よりも大きい
豊臣秀頼が再建した2代目の大仏は、銅製
さらに、江戸時代初期に、木造で再建されている
大仏・大仏殿は、いずれも崩壊・焼失して現存せず、大仏殿跡の遺構が地下に保存され緑地公園となっている
二重瓦
西向き
高さ25間(約49m)
南北45間2尺7寸(約88m)、東西27間6尺3寸(約54m)
大阪城の天守閣が、そのままはいるぐらいの壮大なものだった
境内は、現在の方広寺、豊国神社、京都国立博物館を含んでおり
南北約260m、東西210mもあったと推定されている
南門は八足門で、回廊は複廊であった
「都名所図会」には、江戸時代の大仏殿が描かれている
<大仏>
本堂に安置されている
豊臣秀頼が再興した2代目の大仏の10分の1の大きさの仏像
<眉間籠り仏>
豊臣秀頼が再興した2代目の大仏の眉間にはまっていた仏像
<蓮華座(れんげざ)>
豊臣秀頼が再興した2代目の銅製の蓮華座
<石塁>
京都国立博物館の西側
<方広寺>
<大仏殿跡緑地公園(だいぶつでんあとりょくちこうえん)>
豊国神社の東隣
発掘調査によって大仏殿の基壇、台座などが見つかった
大仏殿跡の遺構は地下に保存され緑地公園とされた
<大仏前交番>
大和大路七条
<正面通>
大仏殿の「正面」の通りであることに由来する
「京の大仏つぁんは天火で焼けてな、三十三間堂が焼け残った、あらどんどんどん、こらどんどんどん」
1798年(皇紀2458)寛政10年7月
大仏殿に落雷し、本堂・楼門、木造の大仏が焼失したときに唄われる