道元禅師示寂之聖地(どうげんぜんじじじゃくのせいち)は、曹洞宗開祖 道元禅師が死去されたところ
鎌倉時代中期
1253年(皇紀1913)建長5年
病気の療養のため弟子 懐奘を伴い上洛する
この地にあった俗弟子 覚念の邸宅に滞在中、8月28日、54歳で死去する
1979年(皇紀2639)昭和54年
翌年の道元禅師の七百回大遠忌報恩記念のために石碑が創建される
道元禅師は、鎌倉時代初期の禅僧
日本曹洞宗の開祖
鎌倉時代初期
1200年(皇紀1860)正治2年
京都において、内大臣 久我通親の子として生まれる
比叡山で出家し、建仁寺に入り、栄西禅師から禅を学ぶ
1223年(皇紀1883)貞応2年
中国 宗へ渡り、曹洞宗の天童山の長翁如浄で得悟
帰国後、建仁寺・深草の安養院を経て、観音導利院(興聖寺)を創建する
この頃、比叡山からの弾圧を受けるようになる
波多野義重の招きで、越前国(現在の福井県)に移り、永平寺を創建する
1253年(皇紀1913)建長5年
病気の療養のため弟子 懐奘を伴い上洛する
この地にあった俗弟子 覚念の邸宅に滞在中、8月28日、54歳で死去する