藤井右門宅跡(ふじいうもんたくあと)

所在地:京都市上京区烏丸通上立売上ル西側 柳図子町   名所地図情報名所

 藤井右門宅跡(ふじいうもんたくあと)は、江戸時代中期の尊王論者 大和守 藤井右門(藤井直明)の邸宅があった跡地

 烏丸通上立売上ル西側に「贈正四位藤井君旧蹟碑」が立っている

【藤井右門宅跡の経緯】

【藤井右門邸跡】

 <石碑>
 建立年:1923年(皇紀2583)大正12年
 大きさ:高さ235 x 幅95cm

 碑文:
 贈正四位藤井君旧蹟碑

 贈正四位藤井君旧蹟碑 宮中顧問官従二位子爵藤波言忠題額
 宜言而挙世不言宜為而挙世不為当是時発憤倡義不顧成敗蹈水火而弗悔者非忠烈之
 士不能而尋其所以然者未嘗不由于読書明理也方王室式微幕府檀権之日侯伯士庶噤
 口拱手無敢直議者時有竹内式部者講学京都倡尊王斥覇大義公卿大夫従遊者甚衆八
 十宮家臣藤井君右門夙蚫忠誠周旋其間合謀密画将有所為事覚幽囚竄逐数十百人君
 亦将獲幕譴亡命入甲斐是謂宝暦之変既而君潜入江戸与山県大弐契合式部在伊勢声
 息相通大弐聚徒講兵法語犯忌諱幕府中以大辟君坐梟首式部謫遠島実明和四年也君
 従式部学式部従学松岡仲良大弐師事加加美桜塢其学並出于山崎闇斎蓋三人者読書
 明理奉神道尊名教忠烈根於心而義憤発於外是以首倡于挙世不言之日蹶起于挙世不
 為之時以図恢復朝権其忠雖不遂而後人聞風感奮多于起者後百餘年幕府覆亡大権復
 古 朝廷追褒其功皆贈正四位洵非偶然也君諱直明藤井氏越中人来京嗣藤井忠義後
 叙従五位下任大和守死時年四十八*遺髪於京師柳図子故宅之側子孫世守焉曽孫曰
 多門與族人九成并受知於岩倉公維新之際公之在岩倉村也勤王志士与公往来者皆密
 議于此二人奔走効力可謂不辱其先矣頃者市区改正削其宅趾以為広路有志者悲旧蹟
 湮滅胥議築垣餘地以遷*髪冢又立石伝将来属予文予因書其由以#後人
 大正十二年四月  文学博士西村時彦選
          木村得善書
          芳村茂右衛門刻

【藤井右門宅跡へのアクセス】

 地下鉄 烏丸線 今出川駅 徒歩数分

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