福井藩邸跡(ふくいはんていあと)
所在地:
京都市中京区
東堀川通二条下ル東側矢幡町
地図情報
福井藩邸跡(ふくいはんていあと)は、
江戸時代後期に、
油小路二条下ル西側の一帯(現在の京都国際ホテル)におかれた福井藩の藩邸の跡
二条城の東にある京都国際ホテルの玄関口に、福井藩邸跡と
橋本左内寓居跡の石碑が立っている
福井藩邸が置かれたのは、
江戸時代後期になってから
1831年(皇紀2491)天保2年の「京大絵図」に描かれている
藩の京都連絡事務所として留守居役が詰め、町人の御用掛を指定して連絡事務に当たった
幕府政治の改革、公武合体運動の活動拠点として大きな役割を果たした
【福井藩(ふくいはん)】
福井藩(ふくいはん)は、越前(現在の福井県嶺北)の中心部の藩
「越前藩(えちぜんはん)」「北ノ庄藩(きたのしょうはん)」とも称される
藩主は、越前松平家
家格は、親藩・御家門で、最大時68万石、
江戸時代中期以後は32万石
幕末維新
田安徳川家から養子に入った藩主 松平慶永(まつだいらよしなが)(松平春嶽)は、
橋本左内らの登用、熊本藩から横井小楠を招聘して藩政改革をおこなった
水戸藩・
薩摩藩と協力し合い、
一橋慶喜を将軍継嗣に擁立し、対外政策・公武合体運動などで幕府に意見をするが、
井伊直弼による安政の大獄により隠居謹慎を命ぜられる
松平慶永は、謹慎後は、「松平春嶽(まつだいらしゅんがく)」と名乗り、
薩摩の
島津久光が軍勢を率いて上洛すると幕府を武威にて脅し、幕政改革を強請し、幕府要職につく
【福井藩邸跡へのアクセス】
市バス 二条城前 徒歩約1分
地下鉄 東西線 二条城前駅 徒歩約2分
阪急電車 四条大宮駅 徒歩約15分