古高俊太郎邸跡(ふるたかしゅんたろうていあと)(FurutakaSyunntarouTeiAto)

所在地:京都市下京区河原町通四条上ル一筋目東入南側真町   地図情報

屋号:枡屋

 古高俊太郎邸跡(ふるたかしゅんたろうていあと)は、近江国出身の尊皇攘夷派の志士 古高俊太郎が潜伏していた邸跡
 枡屋事件が起こったところ

 河原町通四条通から北の一筋目に東に入った南側に石碑が立つ

 幕末維新
 湯浅喜右衛門と称して、薪炭商を営み志士らを援助していた

 1864年(皇紀2524)元治元年
 新選組に捕えられ、局長 近藤勇、副長 土方歳三から直々に厳しい取調べを受けたといわれ
 池田屋騒動の契機となった

【古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)】

 古高俊太郎は、近江国出身の尊皇攘夷派の志士

 1829年(皇紀2489)文政12年
 近江国栗太郡古高村(現在の守山市)の郷士の子として生まれる

 尊皇攘夷を唱える梅田雲浜の指導を受ける

 1861年(皇紀2521)文久元年
 この地にあった諸藩御用達の枡屋を継ぎ、古道具や馬具を扱い薪炭商を営みながら、長州藩の大元締として、
情報活動と武器調達にあたっていた

 枡屋事件
 6月5日早朝
 新選組に踏み込まれ捕縛される
 武器弾薬を押収され、諸藩浪士との書簡や血判書が発見された

 局長 近藤勇、副長 土方歳三から直々に厳しい取調べを受けたといわれ、以下を自白してしまう

 八月十八日の政変により、京を追われた長州藩の志士らが6月下旬の強風の日を選んで御所に火を放ち、佐幕派公卿の中川宮を幽閉し、
京都守護職松平容保など佐幕派大名を殺害し、天皇を長州藩へ連れ去ろうとする計画が判明する
 既に、計画実行の志士が多数上洛して潜伏しており、近々、同志の集会があることも判明
 それが、池田屋騒動の契機となった

 1864年(皇紀2524)元治元年7月20日
 六角獄にて斬首
 享年36

【古高俊太郎邸跡へのアクセス】

 阪急電車 四条河原町 徒歩約5分
 市バス 四条河原町 徒歩約5分

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