 
 明治維新 伏見の戦跡(めいじいしん ふしみのせんせき)は、戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いの伏見での戦跡を示す石碑
 御香宮神社の本殿の南東に石碑が立てられている
 御香宮神社には、新政府軍の中核をなす薩摩藩800人が陣を取り、
伏見奉行所に居座っていた新選組や会津藩の幕府軍1500人に対して砲撃を開始した
 旧幕府軍が、大阪から鳥羽と伏見の二方向に分かれて京へ進軍する
 伏見には、新選組が伏見奉行所を占拠しており、会津藩・桑名藩の藩兵が加わり約1500人となる
 新政府軍は、鳥羽は城南宮、伏見は御香宮神社を拠点とする
 新政府軍は、御香宮神社の東側台地に砲兵陣地をおき、大山弥助(後の元帥 大山巖)の指揮により、伏見奉行所を攻撃した
 御香宮神社の標高約90m、伏見奉行所の標高約60m、標高差約30m、距離約500mあった
 伏見奉行所付近で、佐久間近江守信久や、窪田備前守鎮章ら幕将の率いる幕府歩兵隊、
会津藩藩兵、土方歳三率いる新選組の1500人の兵が、新政府軍約800名程に敗れる
 伏見奉行所は、戦火で焼失する
 御香宮神社は、戦場とはならず、被害は少なかった
 「戊辰戦之役東軍伏見鳥羽淀八幡二於テ戦死及殉難者人名簿」には、戦死者253人が記されている
 <「明治維新 伏見の戦跡」の石碑>
 御香宮神社の本殿の南東に石碑が立てられている
 建立年:1968年(皇紀2628)昭和43年
 建立者:御祭神壱千七百年祭奉賛会
 大きさ:高さ140 × 幅78 x 奥行45cm
 碑文:
  南側:明治維新 伏見の戦跡 内閣総理大臣 佐藤栄作 書
  北側:明治百年記念 奉納   御祭神壱千七百年祭奉賛会
 <御香宮神社>
 新政府軍が、東側台地に砲兵陣地をおいて、伏見の拠点とした
 <維新戦跡>
 伏見奉行所跡にも石碑が立てられている
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