元政上人旧跡(げんせいしょうにんきゅうせき)は、江戸時代初期の
日蓮宗を代表する高僧 元政上人が隠棲したところ
瑞光寺の門前に石碑が立てられている
近くには、簡素な墓地がある
元政上人は、江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧
深草に住んでいたことから、「深草の元政」「艸山和尚(草山和尚)」と称される
詩人・文人でもあった
瑞光寺から、JR奈良線の線路下を潜り、左へ線路沿いの緩い坂道を上ったところにある
JR奈良線により、瑞光寺の境内が分断されたためといわれる
<元政上人のお墓>
墓石はなく、簡単な土盛りをした上に三本の竹のみ立てられている
1667年(皇紀2327)寛文7年
元政上人の遺命により、遺骨は瑞光寺の西隅に葬られ、脩竹を三本立てただけの簡素な墓標とされた
三本の竹の意味は、「一本は、法華経広宣流布のため」「一本は、衆生救済のため」
「一本は、両親のため」とされる
<「嗚呼孝子元政上人之廟」の石碑>
1692年(皇紀2352)元禄5年
水戸藩主 徳川光圀が、湊川神社に建てた「嗚呼忠臣楠氏之墓」と相対して、
「嗚呼孝子元政之墓」を寄進したいといわれたが、元政上人の遺言を聞き断念されたといわれる
お墓の正面の簡素拝所の両脇に2つの石碑が立っている
左側が「嗚呼孝子元政上人之廟」
右側には、徳川光圀が建てようとした石碑の逸話が記されている